Golden Honeymoon



明かりの消えた部屋の中で、ほんの2秒だけライターの火が灯った。

丸く顔を照らされた男はベッドに座り、雲と同じ色の息を吐く。

傷を隠した胸が、ほんのりと淡い月の光に照らされていた。


「月に行こうぜ」


開いた窓の彼方に見える白い石を見て呟く。


「何言ってんだ。アポロはとっくに廃止されてんだぞ」

「それは国のお偉いさん方が決めただけのことだろ?」


俺たちにゃ関係ないさ、行きたい時に行くんだよと男が笑う。

白いシーツの上に裸で転がっていた俺は、それもそうだけどよと返事をする。


「月なんかに行ってどうするんだ?」


いつだったか宇宙に飛んだ時、間近に見たことを思い出す。

ただただ白い砂地と石の山が広がるばかりだった。

アポロが飛ぶ前の時代ならともかく、今や月の石の値打ちはたかが知れてる。


訝しむ俺を見ていた男が、煙草を八重歯に挟んで人差し指を立てた。


「なぁんと、1カラット1000万の値をつけられた宝石がゴロゴロしてんだとよ」


眉唾な話だった。

だが実際、外見だけではお宝があるかどうかは分からない。

虎穴に入らずんば、宝は得ずだ。


「月で穴掘りか」

「そういうこと。ま、宇宙船の用意から始めないといけねえけどな」

「容易じゃねえな。そういや、あの博士はまだ行きてるのか?」

「博士?」

おしゃぶり咥えたロボットのよ、と付け加えると男は思い出したように上を見上げた。


「グルリット博士のことか。あの博士に頼むなぁごめんだぜ。また居眠りされちゃ敵わねえよ」

「はは、あれは酒を差し入れたお前が悪い」


笑いを返して、サイドチェストの煙草を取る。

セックス後の煙草はどうしてか、美味い。

肺胞に煙を染み渡らせて、深くため息を吐いた。


「それで、どうすんだ?」

「船の目処はついてる。かなり小型で性能の良いやつが、絶賛開発中さ」

「どこから盗む、NASAか?」

「そんなところだな」


発射台と美人の博士もレンタルさせてもらう、とサイドチェストの灰皿に吸い殻を押し付ける。

俺は半端に残した煙草をもみ消して、頭の後ろで手を組んだ。


「開発中ってことは、テスト品をやるのか」

「いいや、何度かもうテストは済んでるんだ。次に狙うのはディアナ三号さ」


トランクスを履いた男がアッパーシーツをめくり、ベッドに入り込んできて俺の隣に横たわる。


「でもよ、また何で月なんかにしたんだ?」


奴が左向きに寝るせいで、俺の肩に暖かい息がかかる。


「次の盗みを金婚の記念にしようって話したの、もう忘れちまったのか?」


顔を押しつけられ、痛くない間際で抑えたハグをされる。 


「地球は騒がしいから、いっそ宇宙に行きたいって言ったのはお前だろ?」


そうだった、と相槌を打つ。

21世紀はますます騒ぎ立てながら俺達を追うようになった。

24時間365日、銭形と衛星とネットの蝿につきまとわれ、二人でいても二人きりではない気がするほどに。


「…月のパスポートのスタンプは、どんなデザインだろうな」


俺が戯言を言うと、男が顔を少し離して微笑みを見せる。


「行ってみたら分かるさ」


子供っぽいキスを俺の額にして、おやすみと呟き目を閉じる。

俺もおやすみを返し、抱かれながら眠りについた。

 


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それから数ヶ月後、俺たちは青い海の広がる白い岬に居た。

ワンボックスカーを縦にした程度の、本当に小さな宇宙船がそこにあった。


宇宙服を着込み、仰向けになって座る。

シートベルトを締める途中で、俺は手を止めた。


「本当に俺とでいいのかよ」

俺が言葉を漏らすと、男が呆れたように俺を見た。


「今さら何言ってんの。お前以外に誰がいるんだよ」

「女がいるだろ」

金婚の記念だなんて、そんなのはあいつとやりゃいいんだ。

心の中でそう考えていると、男が小さく笑う。


「最初会った時から、そのクセは変わらないな」

「クセ?」

「俺なんかじゃなくていいって、勝手に拗ねるところ」


白い宇宙服に包まれた腕が俺に伸びてきて、ヘルメットを折り曲げた指の関節でコツンと叩かれた。  


「お前がいいんだ。だからお前を選んだ。あの時も、今もな」


帽子を傾けられない代わりに、首を埋める。


「お前のそういうところ、愛してるぜ」


キュイキュイと音を立てながら硬化プラスチックにハートを描く。


その指を目で追うと、ヘルメット越しに見える窓の向こうに、青い空が見えた。

大きくない窓だというのに、その空はやけに広く感じる。


そろそろ行くぜ、と手が俺を離れ主電源のレバーボタンを弾く。


「そんじゃ、はっしーん!」


器用な手がモノクロのボタンの列をピアノを奏でるように弾き、操縦桿を目一杯引いた。


地響きのような振動と、燃え盛る轟音が船の中に響き渡る。

レールなしのジェットコースターは凄まじく、俺は奥歯を噛んだまま椅子にしがみついていた。

あっという間に雲を抜け、青い空が群青色に染まって行く。

ほんの10分で大気圏を抜け、ふわりと重力から解放された。


「このまま軌道に乗ってと。おい、大丈夫か?」

男は上半身のベルトを外し、ヘルメットを取った。

あの短い髪でさえぺしゃんこになっていて、思わず笑う。


「肋骨が折れるかと思ったぜ」

俺も同じようにヘルメットを外して、潰れた帽子を足元から取り出した。

何度か叩き、頭にかぶると形がいびつに戻る。


「地球さんさようなら、美味しい女をありがとうってか」

「なんだそりゃ」

「知らねえの?映画だよ。帰ったら2人で見ようぜ」


大気圏から出たはいいが、目標の月へはまだ距離がある。

ミシミシと軋む宇宙船の音を聞くと、いてもたってもいられず貧乏ゆすりをしてしまう。 


「あら、椅子の具合でも悪い?」

「バカ言え。怖いんだよ」

「上手く着陸できるかって?」

「こんなポンコツで上手く着陸したとしても、帰りまで保つかよ。性能がいいなんて大嘘じゃねえか」


俺がそう吐き捨てると、男が俺の肩に手を置いた。

そして、月の隣を指差した。


「帰りはヒッチハイクできるようにしてある。そんな心配することねえって」

「ありゃあ…宇宙ステーションか」


窓から小さく、トンボ同士の尾をつなげたような施設が見える。

あそこにある帰還用のポッドを使うということだろう。


あ、と男が声を上げる。

その声につられて俺も同じ方向を見ると、月の巨大なクレーターが窓の端に映っていた。


慌てて着陸態勢に入るためシートベルトを締め直した。

白いばかりの砂地を見ていた窓が、着陸のためモノクロの地平線を映し出す。


「揺れるぞ」


その言葉の直後に船が大きく揺れた。

船が壊れるのではないかと思ってしまう衝撃に冷や汗が湧き、鼓動が暴れる。


だが無事、船は上手く着陸したようだった。

二人揃って安堵の息を吐く。


「休憩するか?」

「…いい。船が壊れそうでおっかねえ」


言いながらシートベルトを外し、ヘルメットを頭に被せた。

男はボタンを操作した後、同じようにヘルメットを被って俺より先に外へ出る。


月の重力は軽すぎて、ふわふわと足元が覚束ない。

時折転びかけたのを見かねてか、あちらから手を繋いできた。

ゴワゴワとした感触の向こうに、何故か懐かしさを覚える。


「ここだ。ちょっと掘ってみてくれ」


薄灰色の砂の上にしゃがみこみ、俺にスコップを渡す。

言われた通り掘り返して見ると、乳白色の石がいくつか出てきた。

楕円と正円と、まるでシャボン玉を固めたような形をしていた。


「これがそのお宝か?」

「オパールさ。その名もムーンポップ」


男がいくつかそれを拾って、太陽に透かして覗き込む。


「飴に似てるな」


ミルク飴みたいなそれを俺もまじまじと見つめるが、ただの石にしか見えなかった。


「こいつに1カラット1000万の価値があるのか?」


俺が問いかけると、男は確かだぜと形のいい幾つかを掌の上で選別した。


「こいつをこのまま地球上に持ち帰ることが出来た人間は、いまだかつていないって話だ」


まさか、と返す。

人類が月の石を持って帰った確かな年は知らないが、70年代には日本で飾られていたはずだ。

それを考えれば、今まで誰も取りに来れなかったなど信じられない。しかも、こんなに高価なものを。


男は吟味したそれを箱の中に流し込み、分厚いポケットにしまった。

俺も一つだけ、男と同じ場所に石を落とした。

羽根のように緩やかに落ち、胸が心なしか重くなる。


「時間切れだ。そろそろ出国スタンプを押さなきゃな」


言われるがままその背中についていく。

宇宙船に戻ると、またヘルメットを外した。


帰りの準備をしていると、ふわりとパスポートが目の前に落ちてくる。


そこには、口を開いた大きなキスマークがスタンプされていた。


「ハハ、これが月のパスポートスタンプか?」

「まだ未完成だって」


男が俺に赤い口紅を渡す。

まだ口の端に、その赤の残りがついている。


なるほど、と男の言わんとすることを汲む。

スティックの底を回すと、潰れた赤いルージュが出てくる。

閉じた唇に少しだけ塗り、赤い輪の隣に小さく口付ける。


「太陽があってこその月だな」


それを満足げに受け取った男が、俺に顔を近づける。

ヘルメットをはめるために大きく開いた宇宙服の首が邪魔だった。

お互いが首を伸ばし、少しだけ唇を触れさせる。


それでも赤いルージュが、薄い唇にくっきりと移った。


「さぁて、帰りの車を拾いに行くとするか」


宇宙船がまた炎を吹き上げ、救命ボートを乗せた母艦に向かって行った。



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そこからは何の不便もなかった。

すんなりと帰還ポッドを盗み出し、1人用の席に無理矢理2人で座る。

俺は男に抱えられ、身体が離れないようきつくベルトで締められた。


「狭ェし、苦しい」

「贅沢言うなよ、2つだと落ちる時危ねえだろ」


突然、ぐるりと頭が逆さまになる。

どうやら大気圏に再突入するらしい。


その衝撃で、俺の宇宙服のポケットからムーンポップが零れ落ちた。

掴もうとした時、その石の変化に気づく。


「おい!溶けちまってるぞ!」


ムーンポップがシュワシュワと炭酸の中に落としたラムネのように溶けていた。


「言っただろ。ムーンポップ、つまり月の泡だってよ」


男は何でもない風に言い、泡を出す石のかけらに指を絡ませる。


「こいつはさ、どうしてか大気圏内に入ると直ぐに溶けちまうんだよなあ」


重力が合わねえんだろうなと独りごちた後、急に俺を強く抱きしめた。


「そろそろGがかかるぜ。舌噛まねえようにな。キスの時痛いのは嫌だろ?」

「余計な…グッ」


突如として俺の身体が背中の主にのしかかるのを感じる。


いくら俺が平均より痩せてるとは言え、こいつの骨が折れるのではないかと心配になった。

だが、じきに何も考えられなくなるほどの重量に圧倒された。




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着陸、と言うより墜落した場所はアラスカの雪原のど真ん中だった。

 

太陽の光が照り返る白い雪と、痛いほど冷たい空気が辺りを包んでいる。


宇宙服を着てた方がマシだと思った頃、男が小さな箱を耳のそばで揺らしていた。

怪訝そうな顔をした後、箱を開ける。

すると箱は玉手箱のように煙を吐き、猿顔を白で包んだ。


「ありゃ、全滅だ」


中身は空っぽだった。

宝石の白い残骸が、風に流されて高い空に還って行ってしまう。


「どうすんだよ。この仕事にいったいいくらかけたと思ってるんだ」


大損だと怒ると、男は記念旅行なんだからいいじゃないと俺をなだめた。


「なぁに、せいぜい10億ってところだろ。次元、全世界にどれだけの金が回ってると思ってるんだ?17京6000千兆円だぜ。10億なんて1円玉みたいなもんさ」


あの10億の札束とアルミのコインを比べるなよと言いたかったが、こいつの言いたいことはよく分かる。

金など、その程度の感覚にしかこいつの中にはないということだ。


「安いもんだな」


ほだされるように笑い、雪原の彼方を見定める。

南に行けば、そこそこの街があるはずだ。

街で休養し、その後田舎にあるセーフハウスへ向かう。

怠惰な日々を1カ月程過ごしたら、こいつが仕事を持ってくる。

仕事を終えたら、祝杯を挙げてソファーの上で絡み合う。

それを繰り返し続ける。


それがいつもの俺たちだった。


「で、その1円玉はどこで拾うんだ?」

「そりゃあもちろん日本さ。徳川埋蔵金の情報が上がってる」

「あ?そいつはもう…」


盗んだことがあるだろうと続ける前に、男が雪を拾い上げてふわりと空に舞わせた。

粉雪がダイヤモンドダストのように煌めき、白の大地に戻っていく。


「分散されてたんだと。まったく、盗み直しなんて勘弁して欲しいぜ」

「それで、場所は?」


日本のどこだと尋ねると、男はニヤリと笑った。


「それはまだ秘密。でも、もちろん来てくれるだろ?」


俺の肩に男っぽく筋張った腕を回し、誰も見るものはいないと頬を擦り付けてくる。


「また不二子絡みなんだろ。俺は絶対行かねえぞ」

「そう言うなよ。ね、お願い次元ちゃん」


俺にはお前しかいないんだよ、とキスなんかをして俺の目を見つめた。

濃いグレーの瞳は、昔は深い鳶色だった気がする。

だが色が変わろうと、目の前の男は、確かに俺にとってルパンという存在だった。


「…仕方ねえ、10億は俺たちの借金だからな」


ひしゃげた跡の残った帽子を上げ、俺の眼を見せる。

もしかしたら、俺の眼の色も変わっているのかもしれない。

それでも、こいつは俺を次元大介という存在だと感じているだろうか。


「そうそう、連帯保証してもらわないと困るぜ」


ふざけた事を言いながら、今までいた宙を見上げた。


「なあ、次元」

「ん?」


俺も同じ宙を見上げた。

何も変わっていないそれを不思議に思う。

俺たちと同じ速さで動いているように見えるのに、実際は酷く遅い時間の流れがそこにあった。


いや、俺たちも似たようなものかと感じる。


なぜ50年という時を生きながら、俺たちが年老いることもなくここにいるのか。

膨大なメモリーを思い出せてしまうのか。


冷静に考えれば考えるほど、異様な現実がここにある。


「今度の記念日には、金星に行こうぜ」


それでも、そんなことは心からどうでも良いことだった。


俺が俺であり、お前がお前であり、この世界にお前が盗むものさえあれば、どんな矛盾も泡のように消えていく。


ルパンの唇が俺の口に触れた時、胸を熱を孕んだ。

この熱が、明日も生きようと思う俺を生む。


ただそれだけが、確かなことだった。


音の響きを雪に吸わせながら、しばらくキスを繰り返す。


「〜〜〜〜〜!」


ふと、雪原の彼方から声がした。


遠目に、雪上車から身を乗り出しているトレンチコートの男が見えてきていた。

 

「やべ、とっつぁんだ」


ルパンが俺の手を握り走り出す。


「あいつも相変わらずしっつけぇなあ」


無我夢中で走り逃げる途中、ふと後ろを振り返った。


二人の足跡だけが、雪原の彼方まで続いていた。









They will last forever If!