次元大介の鎮魂歌 for Inflexible heart -2 end

<5>

「生きて帰ってくるとはな。流石は世界一のガンマン…死神に愛された男とはよく言ったものだ」

赤龍が玉座に踏ん反り返り、愛人の女達を弾除けと言わんばかりに増やして侍らせていた。

俺はその玉座の前に立ちすくんだまま、イミテーションのダイヤを放り投げた。
ガラスの砕ける無残な音が部屋に響く。
何をするとブランド男が駆け寄ったが、バラバラになったガラスを見て悪態を吐くだけだった。

「こんな囮は通用しないぜ。奴には無駄だ」
「ならダミーをそこら中に…」
「それならダミーごと根こそぎ奪って家でゆっくり選別すりゃあいい。いくらダミーを作ったところで、本物を奪うまで奴は諦めねえ」

「…随分詳しいじゃねぇか。ルパンの情報は最初に全て吐けと言っただろう」

赤龍が苛立たしげに言い放ち、女の尻を叩いた。
わざとらしい嬌声が耳障りだ。

「だから最初に言ったろう。小手先で通用する男じゃねえってよ」
「ただの一度組んだだけでそこまで分かるものか?」
「危ねえ男はよ、第一印象で分かるもんだろうが」

繰り返される会話に俺も苛立ち始める。

「金庫にでも何にでもしまっとけ」

俺がそう言って踵を返せば、誰も引き止めなかった。
俺は守るのが専門で、隠し場所を考える仕事まで引き受けちゃいねえ。

そう背中で語るだけで十分だった。

自分の部屋に戻り、真四角の硬いソファーに横になる。
シャツの上から手を当て、傷口を確かめる。
幸いにも、内臓にも動脈にもふれず肉だけを貫かれたおかげで見た目よりは酷くない。
とはいえ、あの跳弾が少しでもズレているか遅かったりでもしたら、俺は心臓を一突きにされていただろう。

ルパンは2週間後に来ると俺に言った後、俺が帰る前に予告状を届けに来たらしい。

そのせいで俺が戻った時もてんやわんやの状態で、お抱えの老いぼれ医者とその様子を眺めながらみっともねえと話をしたくらいだった。

ああでもねえこうでもねえと話しながら、誰も手をこまねいて打開策を打ち出せない。
もし、銭形と呼ばれるルパンのエキスパートが居たなら、少しは良くなったろう。

だが赤龍は、正義感の強い男に力を借りるなんて事は絶対にしない。
悪が正義に力を求めるなど、飛んだ笑い話だ。

少し寝るかと思考の瞼を閉じる。
熟睡はしない。少しうとうとする程度まで緊張を緩めた時、カーテンだけを閉めた窓からまた雨の匂いがしていた。 

--------------

奴が盗みに来ると予告した前の日まで、俺は傷を治すことに専念して動かなかった。

だが夕方頃になり、誰かがドアをノックした。
それだけならば警戒することではないが、気配がおかしい。
何十人もの心臓が蠢く気配だ。

「何の用だ」
「次元、お前に折り入って頼みたい事がある」

赤龍の言葉の終わりと共に、武装したマフィア達が部屋になだれ込んで来た。
そこそこの広さしかないと言うのに、みっしりと黄色い顔で満たされる。
反射的にソファーの上に膝立ちで立ち上がり、マグナムに手をかけた。

「次元、お前は金庫にでも仕舞えばいいと言ったな。おかげでいいアイデアが浮かんだぜ」

赤龍が巨体を揺らし、部下をかき分けて俺の前に躍り出た。

「ハッ、ロクでもねえの間違いだろ」
「そうでもねえさ。何しろ金はかからない上、安全な所と言ったらここしかねぇ」

赤龍の隣に控えていたブランド男が懐から楕円形のカプセルを取り出した。
それは薬を入れるもののようだったが、細長く通常の何倍もの大きさがあった。
カプセルを受け取り、赤龍が細長いケースからレッドダイヤを取り出す。
そしてカプセルを開け、ダイヤをその中へ納めた。

「こいつを肚の中にしまえ。文字通り命をかけて守ってもらう」
「付き合いきれねぇな。そんなに大事ならあんた自身が飲み込んじまえばいいんだ」
「嫌だと言うか…おい、アレを連れてこい」

赤龍が指を鳴らすと、人混みの中に1人の女が連れ出された。
それは赤龍の愛人の1人で、最近入ったらしい女だった。
その顔をまじまじと見るのは初めてだったが、どこかで見たような顔だった。

「お前が拒否するなら、この女を殺す」
「バカ言え。お前さんの女をどうして庇わなきゃいけねえんだ」
「お前は非常ができねえ男さ。お前が頷けばこの女は助かるし、お前だって少し苦しい思いをするだけで済む。だが、断れば女が死にお前も蜂の巣だ」

どちらを取れば良いのかなど、明白だった。

「赤龍、変わったな。昔のあんたは趣味こそ悪かったが、こんな姑息な真似はしなかった」
「こうする方が簡単だと気づいたまでさ。お前も威勢ばかり張って利用されるくらいなら、俺を見習うんだな」
「スマートじゃねえな…死んでもお断りだぜ」

赤龍は真っ黒な目で俺を嘲笑い、首を傾けて俺を捕まえろと部下に命令した。
特段抵抗などしていないのに、全身を羽交い締めにされ床に膝をつく。
髪を鷲掴みにされ頭を90度に固定された上、顎を開かされた。

「よーく息を吸っておけよ。食道ってのは22cmもあるらしいからな」

カプセルが喉にねじ込まれ、口を閉じないようリングの口枷を咬まされる。
ブランドが鉄の棒の様な物を俺の喉に差し込み、食道で詰まっているそれを押し込んだ。

何度もえづき、呼吸もままならなかった。
それでも棒のお陰か、早くに胃に落ちた様だった。
ずるりと喉から鉄を引き抜かれ、咳き込んで屈み込む。
まだ抜けない喉の異物感に、吐き気を感じる。
「おっと吐くんじゃねぇぞ。もう一度鉄を味わいたくないならな」

赤龍がそう言い捨て、部下を引き連れてぞろぞろと外へ出て行く。
拘束されていた女が俺を困惑した顔で見ていた。
別にお前のためじゃねえよと言いたかったが、言葉など出せる状態ではなかった。

「これでルパンもお宝のありかにはたどり着けねえはずさ。ルパンの野郎を殺したら、切ってとり出してやるから安心しな」

扉を閉める前にブランド男がやけに楽しそうに言い、医者の爺に様子を見ておけと命令をする。

そして医者だけが部屋に残った。
こんなことになるなら、赤龍の用心棒なんぞやめておくべきだった。

下手に恩があるだけ、抵抗ができない。

まるで自分が虐待を受けても逃げ出さない犬に思えて、入れ物にされた屈辱と、いいようにされる情けなさと、プライドを捨ててしまいたい程の憤怒が織り混ざった。

色味の悪い様々な感情が混ぜ合わさっても、赤龍への殺意は生まれなかった。

悔しくも、俺の中の殺意は敵にしか沸かないようコントロールできる。
身内にまで殺意を湧かせているようじゃ、用心棒は務まらない。
感情は溢れても、まるで霧のようにどこかへ消え去っていく。
どんな屈辱を受けても、そうやってやり過ごして来たことを思い出した。

「チクショウ…」

医者が黙って俺に水を差し出す。
寡黙な老齢の医者は、煙草にも火をつけて差し出した。
気が効くな、と煙を肺に吸いこむと思い切り咽せた。

もう一度同じ悪態をつき、出て行けと医者に手を振る。
医者は黙って立ち上がり静かに部屋を立ち去った。

思えば、こんな仕事をした結果手に入るのは金という紙切れだけだ。

だが、自ら進んで踏み込んで来た道だ。
後悔もなければ、希望もない。
過去の信頼を踏みにじられることもザラだ。 

そして俺も何人もの命を踏みにじり、血の大河に溺れながら生きてきた。

それでもこの銃を持った腕でしか生きていけない郷に従う、それまでだ。

今まで幾度となく胸に刻んだ覚悟が揺らぐことはない。
心が肉を落とした髑髏のように、芯だけになる。

俺は取り零したマグナムを拾い上げ、弾を抜いた。
そして何事もなかったように、古女房の手入れを始めた。






<6>

ルパンが盗みを予告したその夜、竜宮城ではマフィアの大群が息を殺して屋敷全体に散らばっていた。

俺は赤龍が逃げ込んだ寝室の前、玉座の前で煙草を吸いながら時を待っていた。
最初の時とは違い、今度の奴は敵だ。

トリッキーな行動で周囲を惑わせ、足音もなくお宝の前に現れ、花でも拾い上げるようにその手に盗み取る。
そして嵐が去るの如く消えて行くんだ。

1度だけだが、それを目の当たりにしている。
とはいえ前回は奴に取っちゃあヌル過ぎる仕事だったらしいから、本気を出したらどれほどまでかは分からなかった。

スラックスのポケットに入れた弾は12。
マグナムに装填した弾も合わせて18発分。
経験上どんなに手こずっても、1人相手に12発以上に撃ち放ったことはない。
後の6発は、恐れの具現だった。

刻々と時は進み、予告の深夜25時まであと5分となった。
より一層、深海のような静寂が辺りを包む。

ただ百数人の殺気は、血に飢えた鯨を生み出してしまいそうな程辺りに渦巻いていた。

『奴だ!』

胸ポケットに無理やり差し込んだ無線機から下っ端が叫ぶ声がした。

それを皮切りに打ち上げ花火のような巨大な発砲音と、数えきれないほどの銃の雄叫びがひび割れを起こしながら流れてくる。
俺1人が潜む玉座の間にもその音と振動が伝わり、無線機を放り投げてから今一度シリンダーに装填された弾丸を撫でる。

『くそッ、どこにもいないぞ!』
『探せ!絶対に奴を中にいれるな!』

どうやらもう奴を見失ってしまったらしい。
俺は騒ぎ立てれば立てるほど奴の思うツボだぜ、と独り言をつぶやいた。
しかしその直後に人の気配を察知し、銃を構えて椅子の脇にしゃがみ込んだ。
特別製の玉座は、マシンガンにも耐える鉄板入りだと知らされていた。

「そんなに警戒しないで」

甘ったるい声が部屋の隅から聴こえてくる。

「おめえは…」

スリットが深く切り込まれた白いチャイナドレスの影が、薄暗い部屋に浮かび上がる。
赤龍の愛人の1人、俺がダイヤを飲み込まされる時エサにされた女だった。

「その節はどうも。あの時は助かったわ」
「礼は要らねえ。それよりなんでお前がここに居る」
「そんなの、アタシもレッドダイヤを狙ってたってだけよ」

端麗な目元、柔らかく白い肌、日本人離れしたグラマラスな身体つき。
そして欲望にギラつく雌虎のような視線。
峰不二子がそこに立ち、太もものスリットを掻き分けて歩み始めた時、そこにハイスタンダードのデリンジャーが見えた。

「マグナムとやり合う気なら、よしな」
「せっかちな男ね、早とちりしないで」

不二子はデリンジャーを取らず、腕を組んで立ち止まった。
そして右耳の真珠のイヤリングを外し、おもむろに踏み潰した。
「これ、通信機なの。ここから先はルパンには聞かせないわ」

実はアナタに借りを返しに来たの、と女は言いながら妖艶に笑う。

「ルパンはずっとアナタの側に居たのよ。老いぼれた医者に変装してね」
「何だと?」

あれは完全な老人だった。
女に担がれているのか、それとも変装していたことが真実なのか、俺は揺さぶりにかけられる。

「適当なこと抜かすんじゃねえ。あの男と背格好も顔も違いすぎる」

「信じなくたっていいわよ。でも、必ずまたあの変装でアナタの前に現れる。ルパンは欺くことの天才よ、せいぜい注意することね」

女はやれやれといった様子で言い切り、堂々と部屋の扉を開けて外へ出ていった。
何が借りを返すだ、疑心暗鬼を仕掛けに来ただけじゃねえかと舌打ちする。

しらばらくして、また外の扉に人が近づいてくる気配がした。
重い扉を開け、枯れ枝のような老いた医者が顔を覗かせた。

「何の用だ。誰もここには近づくなというおふれだろ」
「おお、次元か。まだルパンは来とらんようじゃな」
「はぐらかすんじゃねえ。何の用だと聞いてる」

俺が銃を向け睨み付けると、医者はおずおずと口を開いた。

「…思った以上に表がやられとる。宝は諦めて後退した方が……」
その言葉が終わる前に、俺はマグナムに火を吹かせた。

しかし奴に向けた弾は、薄く開いた扉にめり込んで煙を立てている。
一瞬のうちに医者が避けたのだ。
老人が弾丸を避け切れるはずがない。

俺はニヤリと笑って隠れている男に向かって教えてやった。

「…お前さんが化けた爺様はな、医者でもあったが、元より根っからのマフィアだ。死んだってそんなこと言いやしねえ」

すると、扉の向こうから上ずった笑い声が聞こえて来た。

「そいつは失礼したぜ。調べが足りなかったな」
扉から覗く影が顔を掴み、ビリビリと皮を剥がす。
ベシャリと床に捨てられたそれは、ゴムで出来たマスクに過ぎない。

「いいや、俺もその言葉を聞くまで騙されてたさ。泥棒よりハリウッドの方が向いてるんじゃねえか?」

互いに不敵に笑うのが分かる。
俺は銃をもう一度構え、扉の金具を二つ吹き飛ばした。
ゆっくりと内側に扉が倒れ、部屋に地響きを起こす。

『次元、奴か!?』

寝室から悲鳴が聴こえてくる。

『絶対にこの部屋には入れるな!ダイヤを取られては敵わん!』

そんな芝居、もう無駄なんだよと言いたかったが、それを口にする前にパラベラム弾が椅子に突き刺さる。

「次元大介!お前の肚の中のもん、いただくぜ!」
奴が部屋に転がり込み、骨董品の乗ったテーブルを蹴飛ばして内部に滑り込んできた。

それを狙って打ち込んだが、ギリギリで避けられて3発無駄にした。

テーブルや破壊された彫刻を影に、直ぐにその姿が見えなくなる。

「クソッ」
スピードホルダーをリボルバーに突っ込み、俺も骨董品の影に身をひそめる。
また3発ほど打ち込み、炙り出しては逃げられるを繰り返す。

やはり奴の方が一枚も二枚も上手だ。
何を取っても敵わない気さえしてきた。

時が経てば経つほど、俺の心に絡みつくように興奮がせり上がって来た。
自分よりも強い男との闘いへの喜びが煮え滾るアドレナリンに変わるのを感じる。
だが、サムライを相手した時とはまるで様子が違う。

サムライも化け物だったが、こいつはそれ以上。駆け引きも効かない相手は初めてだ。

さながら、神とでも退治しているかのような感覚。

幾度となく感じてきた興奮とは別物の、今までにない感情の高まりに、口の端が震えるように笑みが零れる。

奴は俺よりも何倍も狡猾な男だが、奴に勝るものが一つだけある。
それはこの右腕と指先と、弾道を導く神経。
世界一のガンマンの誇りを賭けての闘いを。

「ルパン三世!借りを返せなくなっても知らないぜ!」

声の限り叫び奴が潜むテーブルの金具に2発銃弾を当てる。
180度ほどテーブルが回転し、奴が転げ出た瞬間に1発を撃ち込む。
だが奴は脇腹を掠めるギリギリで逃げ切った。

舌打ちをして最後の6発を装填する。
シリンダーを戻した時、奴が影から飛び出してきた。

何発か撃ち返して来たが、俺には当たりも掠りもしない。
ヤケクソになったのか、奴は俺に向かって走り出して来た。
その手には得体の知れない瓶を持ち、思わず撃つことを躊躇う。

堪らず玉座から飛び出し、今度は俺が奴の居たテーブルに滑り込んだ。
だがそこに半身を寝かせた瞬間、何か粘り気のある液体にスーツが濡れるのを感じた。

それは接着剤の海で、ものの1秒で踵から右肩までガッチリと固定された。
クソ、と左足でテーブルを蹴り飛ばし銃を構えたが、奴はどこにも居ない。

「痛てぇじゃねえか、脇に掠ったぜ」

突然頭の上から低く深い声が響く。
俺はネズミじゃねぇぞと言いながら左手を後ろに回し撃ち込もうとした。
だが引き金を引き切る前に、奴の足に踏みつけられて接着剤で床に繋がれる。

「随分汚ねえことするじゃねぇか、え?ルパン三世よ」

帽子の隙間から髪が接着剤に触れたようで、頭も動かない。
こんなことでやられてたまるかともがくが、もがけばもがくほど動けなくなっていった。

「だぁってお前強いんだもん。正攻法で突っ込めるかよ」

奴はそう言って屈み込み、俺の腹を押した。

「何すんだ!やめろ!」
「んー…まだ胃の中みたいだな。あら、本当に傷はもう塞がってんのか、頑丈なこと」

触診している途中で、寝室のドアが乱暴に開く。
そこには眼を真っ赤に充血させた赤龍が、マシンガンを構えて俺達を睨んでいた。

「次元、とんだ役立たずになりやがって」

守り切れなかった俺はぐうの音も出ず、すまねえと呟くしか出来なかった。
すると奴が立ち上がり、赤龍へ踵を返す。

「役立たずな訳あるかよ。相手が悪かったってだけさ」
「ほざくな!」

赤龍が奴に向けてマシンガンを撃つ。
だがその反動でブレやすい弾道は、俺のマグナムを見切るよりよっぽど楽だろう。

「ロマンのねえ銃だぜ」

パン、と奴のワルサーが一度だけ火を噴く音が聞こえる。
顔を動かせず見えなかったが、どうやら急所に打ち込んだらしい。
直後に赤龍が短い断末魔を上げて倒れこむ衝撃が床から伝わって来た。

「…殺しはしねえんじゃなかったのかよ」

前は綺麗事を言いやがった癖にと呟くと、奴の趣味の悪い笑い声が降ってくる。

「お前さんはせっかちでいけねえ。ただの麻酔弾だよ」

言われた通り、よく見ると赤龍の腹は上下していた。
紛らわしいことするなと悪態を吐くと、奴がまた俺のところに歩み寄ってくる。

「暴れられたら困るからな。お前もオネンネしててちょーだい」

ハンカチを口に当てられ、息を止めていたのにもかかわらず視界が黒に蝕まれていく。

瞬く間に、意識が闇の中に沈んで行った。




<6.5>

何とかやれたな、と俺は足元に倒れるガンマンを見下ろした。
ポンペイの石膏像のようなポーズに沿ってアセトンを流し、接着剤を溶かしていく。

「よいしょっと」

身体を転がし硬い海の外へ出すと、スーツもスラックスもあちこち裂けてしまった。
どうせ安物だ、怒るなよと独り言を言いながら背負う。
見た目よりずっしりと重い男の身体と、ポールモールの裏表のないような香りを感じた。

『ルパン、裏口を開けた。急げ』

おもむろにイヤホン型の通信機から別の男の声がする。

「さすが五右衛門ちゃん。助かるぜえ」

言われた通り竜宮城の裏手へ回ると、五右衛門が辺りのマフィアを蹴散らして待っているところだった。
そして次元を背負う俺を見て、眉を潜めた。

「ダイヤはどうした。拙者に渡すとの約束だろう」
「それがよ〜、このガンマンに赤龍の野郎が飲ませちまったんだよ。悪いんだけっども、取り出すまでちょっと待ってくれねえか?」

走って屋敷の裏の森を駆け抜ける。
後ろからマフィア達の怒号と弾丸が、木やら枝やらを撃ち抜いて追ってくる。

「今ここで腹を割いてやってもいいぞ」
「割いても縫えねえだろ、そいつは却下」

そう返すと五右衛門は敵を気遣う俺を睨む。

「また何か隠しておるな」
「まあまあそう怖い顔しなさんなって。この男使ってやりたい事が色々あんだよ」

森を抜けて舗装されていない道に出ようとしたその時、突然車のライトに照らされた。
片手をサングラスに瞳孔を絞ると、そこにはトレンチコートを羽織った男が仁王に立って俺を睨んでいる。

「ルパァン!待ちかねたぞ!」
「とっつぁん〜中国から追い出されたんじゃなかったのかよォ」

この銭形という男は、ルパン逮捕の為と単身中国政府に乗り込み、追い返されたはずだった。

「ふん、この俺を舐めてもらっちゃあ困る。観光目的でまた舞い戻って来たまでさ」

得意そうに笑いながら縄をつけた手錠を回し、にじり寄ってきた。 

「竜宮城ならこの先だぜ。ま、半分崩れちまってるけど」
どうにもこの男だけは思い通りにならねえと心の中で悪態をついた。

「五右衛門、後は頼んだぜ!」
「待て!ルパン!お前の車はとっくに俺が…」

俺を追って走り出そうとした銭形の首に、五右衛門が刀を突きつける。

「クソッ、また新しい仲間か!?」
「仲間ではない。だが、あれに託したものがある故、ここは通さん」
「おーい五右衛門、殺すなよお」

お互いの間合いから動かない二人を背に、砂利道を走り抜ける。
そして銭形の車に突っ込まれたのか、半壊になった俺の黒いセダンを見つけた。

資産家からくすねた日本車は丈夫なもんで、それでもキーを回せばエンジンがかかる。

「詰めが甘いぜえとっつぁん。どうせなら燃やしとくもんだ」

歪んだ後部座席に次元を寝かせて運転席に乗り込むと、真正面から白と紺のパトカーの群れが向かって来るのが見えた。
ようやくおいでなすったなとアクセルを踏み森に逃げ込み、エンジンを切る。

すると群れ達は素通りし、赤龍の屋敷に向かって猛スピードで消えていく。
次が来ないことを確かめてから、またセダンを走らせる。

「ぬふふ、釣ったエサに魚がかかると楽しいなぁ」

赤龍に探りを入れていくうちに分かった事があった。
それは政府に資金提供をする代わりとして発言権を手に入れていた赤龍を、疎ましく思っている奴が想像以上に居たということだ。
取り分け警察は何とかして摘発したかったらしく、俺がエージェントを使って少しハッパをかけたら面白いくらいに食いついた。

ルパンが盗みを行う際、赤龍の組織を半壊させる。そこを狙って一網打尽にしてやれ。

そう警官隊も言われたに違いない。

「さぁ、こっから先はヘリで行こうぜ」
木々が伐採され平地になっていた場所までたどり着き、車を捨てる。

万が一の時のために小型ヘリを離れた場所に用意しておいたのは正解だった。
次元を担ぎ上げ、一つしかない操縦席の後ろに座らせて縄で固定する。

そして空高く舞い上がり、積雲さえ突き抜けてしまえばもう誰も追うことは出来なかった。
新月の暗い影と、ダイヤをぶちまけた夜空、そして雲の影が浮かぶ水平線が終わりなく続いている。

「ここまで来れば安心だぜ」

辺りを確認してから、ちらりと後ろを見る。
ぐったりとしたガンマンの帽子は、いつ落としたのか無くなっていた。
黒く長い前髪の隙間から、夜のように黒いまつげと薄く開いた唇が見える。

この男の本気が見たくて敵に回したはいいものの、五右衛門や俺にまで対等に渡り合えるとは少し意外だった。

その上、玉座で対決した時のこいつの目は、ギラギラしているのに真っ直ぐで、俺が楽しむ余裕もなくなるほどの殺意の槍で俺を追い込んだ。

1000gを超えるコンバットマグナムを軽々と翻し、弾丸が意思を持ったかのように的へ飛び込んでくる。

この男に狙われて生き残った奴はいないと聞いた割に、毒気のない男だと思っていた分より圧倒された。

凄まじい男。まさに世界一のガンマンだった。

しかし何より、そんな男が服を捨てられ無理やり異物を飲まされてもなお、たかだかの恩の為に死をも厭わず突っ込んでくることに驚いた。

たとえ屈辱を受けようと忠誠の誓いを揺るがせないその芯の強さは馬鹿とも言えた。

殺し屋のくせに愚直で、心の奥底では血も涙も忘れちゃいない。
死神に愛された男と人は称すが、お前に死神なんか憑いちゃいなかった。

お前のその背中に惹かれた生きた屍が、勝利を求めて黒い翼に縋り付く。
そして、勝手に堕ちていく。

俺の神とお前の神、どちらが勝るか賭ける気でいたが、どうやらそれはナンセンスらしい。

お前の背中についているそれの名は、神じゃない。
ただ血に濡れて黒くなった重く冷たい翼で、罪だけをひたすらに背負って耐えている。

哀しみと覚悟と悟り。
それがお前の強みそのもので、見るものから見ればアイギスにも劣らない盾となる。

「ますますお前が欲しくなるぜ」

この俺が見誤るほどのものを持ちかやがって。

静かに心が乱された時、空を切り裂くような流星が常闇の隙間を流れていった。






<7>

ちょうど太陽が真上を指す頃。
上海を離れ台湾に逃げ切ったルパンのアジトに足を運ぶと、そこは潰れたビリヤード場だった。

バイクブーツのヒールの音を立てて地下の店に入り込めば、営業していないはずの店はぼんやりと明るく、音楽まで流れている。

「ルパン?いるかしら」

革張りのドアを開ければ、奥にクッションを敷き詰めたビリヤード台の上でぐったりとしているガンマン。
バーカウンターには酒を嗜む泥棒の姿がある。

「よお不二子。随分早いじゃないの」
「港まで赤龍の車を借りたの。愛人だって言えばどこも直ぐ通してくれて助かったわ」
「そんでオマケに、パスポート代わりの乳でも見せたのか?」
そんなはしたない事しないわよ、と返したが実際硬い警官には谷間を見せるくらいはしてる。

「まだ起きないの?もう半日経ってるわよ」
奥で寝ている男を見やると、ルパンは寝かせておけよと答える。

「朝方に目は冷ましたんだけどよ、胃に蓋しちまう前にカプセルを取り出そうと思ってちょいと腹を切ってな」
「貴方手術なんて出来たの?」
「まさか、闇医者呼んでやらせたさ」
「真似できるのは変装までってことね」

くすくすと笑いながらルパンの隣に座り、呻いているガンマンを見る。

「で、無事に産まれてきた玉子はどこ?」
胸をつつき、上目遣いに見つめると満足そうに笑いながらルパンが懐に手を入れる。

「まあ」

10カラットのレッドダイヤは、100カラットのダイヤよりも貴重で価値がある。
その薔薇のような輝きにうっとりと手を伸ばしたのに、ルパンは手を上にあげて触れないようにしてしまった。

「ちょっと、アタシにくれるって約束よ」
「え〜?不二子ちゃん、ニセモノで満足しちゃうわけ?」

ニヤニヤと言った後、腕を下ろしてダイヤをテーブルに置く。
まるで偽物には見えない。
渡された片目の顕微鏡を覗き込むと、確かに輝きが鈍いし、中にひび割れのようなものが見える。

「なぁにこれ。貴方わざと偽物を盗んできたの?」
「確かにこいつはダイヤの偽物さ。でも、新種の麻薬としては正真正銘本物だ」
「麻薬〜!?」

嘘でしょと言いながら香りを嗅ぐと、大麻や植物ではない、覚せい剤のような甘い匂いがする。
ダイヤからこんな匂いがすることはあり得ない。

「阿片の仕返しにこいつをイギリスやアメリカ、ゆくゆくは世界中に売り飛ばす予定だったらしい。そうして金を稼いで、政府に貢いで裏の帝王になりたかったのさ、赤龍はよ」

「それを貴方が本物のレッドダイヤだと勘違いして盗みに来ようとしたもんだから、あんなに慌ててたのね」
「全く、情報屋に担がれたぜ。でもこいつは最高傑作らしくてな、粉にして売り飛ばせば1億にはなるだろうよ」

レッドダイヤより随分と安いじゃない、とため息を吐く。

「あーあ、貴方のせいで本当に損したわ。命の危機まで乗り越えたっていうに」
「そこは次元に感謝しろよ。俺が止めたのに勝手に赤龍のところに潜り込みやがって」

ルパンがそう言ってガンマンを指差す。
真っ青な顔はここからでも分かる。

「借りはもう返したわ、感謝なんかするもんですか」
「ええ?」

ルパンが驚いた顔で私を見て、何したんだよと問い詰める。

「んふ、そんなこと貴方に教えたって仕方ないでしょ。それよりあの東京のマンション、アタシにちょうだい。ね、お願い」

ルパンは少し渋ったが、身を擦り付けると仕方ねえなあと懐からキーを取り出した。

「暗証番号もあるでしょ」
「2256さ。すぐ覚えられるだろ」
「アタシの名前に愛の数字の6ね。分かったわ」

頬にキスをして、ルパンが唇にキスを返そうとしたのをすり抜け立ち上がる。

「不二子ォ、つれねえじゃねえか」
「アタシ忙しいの。じゃ、またね」

去り際に奥のビリヤード台を見やると、男が目を覚ましてこちらを見ていた。
何か言いたげにしているのは見ないフリして、外に出た。

太陽が目に刺さるのを手のひらで抑えて、ハーレイに跨りサングラスゴーグルをかけた。
突き抜けるほどに晴れ渡る青空を、スモーク越しに見上げる。

ご機嫌ね、と胸の谷間に潜めた宝石の塊達に話しかけた後、アクセルを握り込む。
赤龍からくすねた金塊や美術品も、もうそろそろ日本に着くはずだった。

「早くあの殺風景な部屋を飾らなくちゃ」

埃臭い風の中でも、自由の風が感じられるほどの空だった。




<8>
自分のうめき声に起こされて、俺は重い瞼を開けた。
薄暗いビリヤード場のカビの臭いを感じながら、頭を動かす。
麻酔がまだ抜け切っていないのか、気だるさに身体を起こすことも出来ない。
腹にかけたジャケットを撫でながら、手術にヘマはなかったらしいと安堵する。

話し声は二つ聞こえていて、一つは男、もう一つは女だった。

「不二子ォ、つれねえじゃねえか」
「アタシ忙しいの。じゃ、またね」

男の物欲しそうな声を、女のまろやかな声がふわりと躱す。

外へ出ようと女が扉を開けた時、外の光が差し込む。
早く出ていけよ、疫病神と視線を向けると女が振り返る。
だが、女は何も見ないフリをして扉を閉めた。

「お、次元起きてたのか」

薄暗さを取り戻した店の中で、緑のジャケットを着た男が俺に近づいてくる。

「水…」

か細い声しか出なかった。
奴は仕方なさそうに笑って、グラスにミネラルウォーターを汲んでくる。

「起きて飲めよ」
言いながら俺の身体を起こし、水を差し出した。

「痛ェ…」

胃のあたりにある縫われた傷を抑えながら、手を伸ばした。
だが奴はグラスを上に逃がしてしまった。

「まぁだ胃に水入れちゃダメだって、水漏れするぜ」
唇濡らすくらいにしとけと言ってから俺にグラスを渡す。
そうならそうと早く言えばいいだろうが、性格悪いぞと悪態を吐くと、ルパンはニヤニヤと笑い出す。

「だぁってお前、からかいがいがあるからさ、ついな」
いじめっ子かよとグラスに少しだけ口をつけ唇を濡らす。
梅雨の時期でも乾燥するこの唇には、痛いほど染みた。

「で?」
「ん?」
「とぼけんな、ダイヤはどうした。まさかあの女にくれたのか?」
「ムフフ…そうかもな」
「バカやろっ、そこは俺に返すのが筋だろうが!」

思わず怒鳴ると、腹に響いて背中を折った。
こんな痛い思いまでさせられたというのにと殺気を込めて睨んでも、男はニヤつくのを止めない。

「ほんと次元ちゃんって、からかいがいがあって仕方ねえな」

そう言って俺のジャケットに手を突っ込み、手を開く。
そこには赤いダイヤが、煌々と輝いてきらめきを揺らめかせていた。

「不二子には騙されてもらったよ。それに赤龍の宝石と金をたんまりネコババしてきたみたいだし、もう欲しがらねえはずさ」
柔らかい光に照らされて、ダイヤは血のように赤い。
俺が寄越せよと手を伸ばすと、ルパンは握り込んでしまう。

「渡せ」
「だぁれがやるって言ったよ」

意地悪に唇を歪ませ、ライトにかざす。

「それは赤龍のもんだ。お前に盗られたまんまにできるかよ」

奪い取ろうとするが、腹の痛みに動きが鈍い。
掠めることも出来ず直ぐに手を下ろした。

「あ、赤龍の組織、潰れたぜ」
「は?」
まるで裏のレストランが潰れたぜというような軽い口調だった。

「なんかよぉ、俺を殺そうって派手にやって、アジトが半壊したろ?そこにチャイニーズポリスが雪崩れ込んで来て、一網打尽にされちまったのさ」
「バカ言うな。政府の大事な金ヅルだったはずだ」
「そのせいでつけあがり過ぎて目の上のタンコブだったらしいじゃねえか。銭形のとっつぁんま来てよ、逃げるの大変だったんだぜ」

ルパンは言いながらカウンターにあった新聞を持ってきて、台に座り広げてみせる。
一面にそれらしい記事と、眠ったまま連行される無様な赤龍の写真がでかでかと載せられていた。

「…ひでぇ面だ」

俺が出会った頃の赤龍の面影など、魂ごとなかった。
失くした帽子の代わりに前髪を撫で下ろし、虚無という感情を感じる。

すると新聞の横からひょろっこい腕が伸びてきて、俺の肩に触れた。

「借りはもう返したろ?守りきれなかったとしても、お前はこの男に十分尽くした」
「んだよ、いきなり…」

触るなよと手を退かそうとしたが、まるで石になったかのようにビクともしない。
掴まれた肩の力は強くないと言うのに。

「だから、今度は俺に借りを返す番だって言ってるのさ」

肩を押されて、抵抗出来ずにクッションの上に倒れた。

「ブラックダイヤの分、俺のアジト7泊の分、腹の手術代の分。まずは返してもらわなくっちゃあな」

俺を真上から見下ろして、ルパンは梟のような丸い目で俺を射抜く。
こいつのペースに飲まれている。
ようやく俺はそのことに気づいて、その言葉には舌打ちだけを返した。

「それより先によ、俺をわざわざ敵に回したお前の目的を教えろ」

今度はいたずら小僧のように笑って、奴は自分の脇腹を撫でた。

「そんなの、お前さんの本気の早撃ちを見たかっただけさ」

この俺様が自分の血を見たのは久しぶりだぜ、と懐にしまっていた煙草を取り出し、唇に火を灯した。

「…本当にそれだけかよ」

どうも、物事がこいつの良いように転がり過ぎてる気がする。
ダイヤも手に入れ、俺がいた組織も潰れ、何事もなかったように俺を仲間に引き戻そうとしている。
俺を躍らせて何がしたかったというのか。

「…そうさなぁ。俺を敵に回したら厄介だって教え込むのもあったかな?」
「ケッ。借りは返すとして、やっぱりお前の仲間になるのは御免だな」

俺にも煙草を寄越せと指先で空を切る。
すると奴は吸いかけのジタンを俺の唇に差し込んだ。
どこか懐かしいような香りがするのに、煙を吸い込めば黒煙草の深いコクが味蕾に染みる。
コクの後には、ピリッとした香りが喉の奥に当たった。

掴み所がないのに、跡だけはしっかりと残していく。
こいつみてえな味だ、と煙を唇の隙間から零した。

「そう言うなって。俺様はますます次元ちゃんに惚れたんだからよ」

義理人情に厚い、心根の腐ってねえ凄腕のガンマンって世界にお前しかいないぜ。
指に毛の生えた手がまた新しい一本を灯して、深く息を吸う。

「お前が言うと嘘っぽいぜ」
「本心だって。ほんとよく噛みつく犬だこと」

煙に巻かれた顔で俺を見下ろした後、真上を向いて灰になった俺の煙草を床に投げ捨て、また吸いかけを俺に与える。

狡猾で、嘘つきで、信用ならねえ男だとつくづく思う。
だが、憎めない。
俺とは違う味がする煙草を吸いながら、諦めのため息を吐いた。

勝てる気がしねえ。
そう思っても怒りも妬みも湧かず、悟りに近い諦めだった。

「なあ、イタリアにでも行こうぜ。じめじめしてねぇ明るい場所によ。そんで今度はブルーダイヤを頂きに行くってはどうだ?」
「ダイヤが好きだな、お前はよ」
「お宝と言ったらダイヤだからな。一緒に虹の色と同じ数のカラーダイヤを揃えようぜ」
「お前にそれほど貸してねえよ」
「いいじゃねえか。貸しが終わった後は相棒になれば」

まったく、つくづくその強引さには敵わねえ。

そんなことを考えながら、ジタンをつまみ口を開ける。
緩やかな呼吸と共に息を吐くと、ニコチンが頭に回って目の前がクラクラする。

あんまり俺を躍らせないでくれ。

言いたかった言葉は、胸の中に沈む。
だが、その重さはいつまでもそこに留まり続けていた。







後日談

観光客の様々な言語の和音と、さざ波が流れる浜辺。
こんなに明るいところは久しぶりだった。

「そういや、あのサムライどうした」
晴れ渡ったアマルフィ海岸で、ふと思い出した。
赤龍のアジトに斬り込んで来たあの男もレッドダイヤを欲しがっていたはずだ、と隣で同じトルコブルーの海を眺めている男に尋ねる。

俺は砂の入り込んだフローシャイムのブーツを脱ぎ捨てて、パラソルの下でビーチチェアに寝転んでいた。
側にはジバンシィの漆黒色のジャケットと、真新しいボルサリーノが転がっている。

奴は縞柄のトランクスタイプの水着だけ身に着けてチェアに座り、泳いだときの雫がまだ滴っている。

「あー五右衛門?欲しいとか返せとか言ってたけど、まあへーきよ」
「くれてやるのか」
「まぁさか、俺は誰かのためだけに盗みなんてしねえよ。俺のために盗む、それだけさ」

ルパンは背伸びをし、頭の後ろに手を回して目を伏せた。
「嘘つけよ。女のためにするじゃねえか」

女のために盗むのも、俺がその女を手に入れるためさ、と海風に吹かれながら答えが返ってくる。

この世の全部は俺だけのためにある。
いつだかそんなことを言っていたのを思い出し、お前もブレねえ男だなと口を開く。

「芯がなきゃ男じゃねえよ。ブラックダイヤを手に入れたのだって、お前が欲しかったからさ」

ルパンはチェアの下で砂浜に埋まりかけていたパーカーを拾い上げ、羽織る。

ふと観光客慣れしたウミネコが目ぼしいものはないかとルパンに近寄ってきた。

「…あの男の方が、相棒に向いてるんじゃないのか。あんな刀の腕がありゃあ警備システムなんてけんもほろろだろうぜ」

ウミネコが今度は俺の方へ寄ってきて、さっき食ったサンドイッチの昼食の袋をつつき出す。

「それって妬いてんの?」
「何でそうなるんだよ。俺は真面目に意見してやっただけだろうが」

獲物を見つけられなかった鳥は、スタスタと隣のカップルに歩み寄る。
女が喜んで、サンドイッチを千切って渡していた。

ルパンがその様子を見ながら、パーカーのポケットから真紅と漆黒のダイヤを取り出して空にかざす。
キラリと膨大すぎる熱を吸い込みきれなかったであろう黒いダイヤが光を翻す。
赤いダイヤはその光を透き通し、男の顔に赤いプリズムを輝かせる。

「俺が、お前がいいって言ってんだよ。
いい加減信用しろよな」
「お前なんか信用できるか。そのダイヤが本物かも分からねえのに」

久しぶりにありつけたポールモールに火を点け、息を吐く。
パラソルがあっても暑い砂浜の照り返しが眩しい。

「相変わらず手厳しいねえ…お、見えてきた見えてきた」
そう言う奴を見ると、どこから出したのか双眼鏡を持って海の彼方を眺めている。

「ほら、見てみろよ」
「…ただのクルーザーじゃねえか、あれがどうかしたのかよ」

渡された双眼鏡の窓から、白いクルーザーが見える。
特別怪しい様子はない。

「あれが世界最大のブルーダイヤの持ち主の船さ。来週のパーティで披露するんだと」
「パーティか、久しぶりにビュッフェの晩飯も悪くねえ」

だろ?と俺が返した双眼鏡を受け取り、またチェアに寝そべった。

「でも男同士じゃ入れねえからな。次元ちゃんエスコートしてくれる?」
「エスコートしたって入れてくれるわけねえだろ」
「俺のメイクアップ技術を知らねえのかよ。お前好みの美女にだってなれるぜ」

音が鳴るようなウインクが俺に飛んでくる。

「中身がお前じゃ萎える」
「え〜!次元ちゃんそんなこと言うなんてヒド〜い!」

サイテー、サイアクー、モウキラーイと大声で喚いたせいで、あたりの観光客がこちらを見出す。
俺が慌てて声がでかいんだよと砂をかけると、顔面にやり返された。

「顔にかけんじゃねえよバカ!」
「バカって言った方がバカなんだよ」

ケラケラと子どものように笑う奴に釣られて、俺もついこの下らなさに頬が緩んだ。
まったく。こいつのペースに飲まれっぱなしだ。

「あーあ…口の中まで砂まみれじゃねえか」
「アジトが近くにあるから安心しろって。ほら、行こうぜ」

ルパンが立ち上がり俺に手を差し伸べる。
それを払いのけて、俺は自分の足で砂を踏んだ。

「腹が痛えかと思って気ィ効かせたのに、可愛くねえなあ」
「お前のその優しさは女にしか効かねえよ」

俺が口の端だけ笑わせて言うと、ルパンは何故か何か企むような笑みを見せた。
そして難攻不落の城みてえと呟いた後、クリームイエローのフィアットのキーを取り出す。

浜辺の沿道に停めた小さな車には、俺たちの荷物が詰まっていた。





Incomplete story to be continued