七日目の式

 

雪の降る夜が続いていた。

冬場は足場が悪く、俺たちは仕事を控える。

国を変えて盗みに行くことも、雪が降っていても盗みをすることもあるが、それは滅多なことだった。

大体、暖房を効かせた室内に閉じこもって、春を待つか、地球の反対側に行くか。

仕事上の主は、今は前者の気分のようだった。

数週間前に移り住んだ、この町はずれの別荘から出るところをほとんど見ない。

いくら待っても部屋の中でパソコンを叩くばかりだった。

その日の昼間も膝の上にノートパソコンを乗せ、何やら作業をしていた。

「次元~~」

「なんだ、コーヒーか?」

シングルのソファーに座っていたルパンが、斜め隣のカウチに寝転がっていた俺へ話しかける。

「ここらにさァ、花屋ってある?」

「あったとしても、気づかねえよ」

買い出しに街中へ出ることもあるが、寒いせいで寄り道もしない。

一応記憶を辿ってみたが、この寒い季節に花を外に出す店もなく、思い当たらなかった。

「そう?じゃあ、ちょっくら探してくるわ。あ、今晩は外に出るなよ」

「出るわけないだろ、こんな寒い中に」

「それなら安心だわ。留守番頼むぜ」

俺が答えると、ミラショーンのグレーコートを羽織って笑う。

そして振り返ることもなく、雪の街へ降りて行った。

数時間後、玄関が開いた。

カウチから身を起こして見やると、黒い髪から雪を振り落とし、腕に真っ赤な薔薇の花束を抱えていた。

「不二子が来るのか?」

わざと声と顔に嫌気を見せた。

あの女が来るなら、俺はこの雪だろうと外へ出る。

近くにある暖かいバーで、一人で呑んでいる方がよっぽど居心地がいい。

「来ねえよ。アイツは今ラスベガス」

「なら他の女か。頼むから連れ込むのは遠慮しろよ」

「さぁ、そいつはできっかなぁ」

とぼけて、花びらに軽く触れ雪を落とす。

そしてコートを脱いでラフなベージュのセーターを露わにした。

それからキッチンに向かい、以前盗んできた中国産のカラフルな壺に花を生けた。

余り趣味がいいとは言えず、俺は笑う。

「もう少しくらい趣味のいい花瓶があるんじゃないか?八億円が蚤の市の売れ残りみたいだぜ」

「お前の趣味じゃない?」

「薔薇を刺すなら、ガラスが一番いい。ごちゃごちゃしてるのはうるさいからな」

「仰せのままに」

薔薇の前の男も笑い、壺から束を抜いた。

それからシンクに並べられた薄緑のボトルを一本だけ手に取る。

それは先日呑んだブルゴーニュ型の空き瓶で、壺とは比べることができないほど安価だった。

それでも、薔薇の花瓶にふさわしい。

白く長い指は幾本かの薔薇のうちから、まだ咲き始めのものを一本だけ選び、緑のボトルに刺す。

それをリビングのテーブルに置くと、ルパンは俺の隣に座った。

「この薔薇が散るまで一週間、てとこかなあ」

「それがどうかしたのか」

「んー……それまでにさ、抱こうと思って」

そう言って棘を一つ折る。

「狙いの女か。七日のうちに逃げられるのが目に見えるぜ」

俺がからかって笑うと、モンキーフェイスの男は膝に肘を突き、俺を見た。

「なんだよ」

「別に、随分余裕だなと思ってよ」

奴の言った言葉が、話の脈絡に合わないような気がした。

「俺様、狙ってる女がいるなんて一言も言ってないよな。

この薔薇を七日間見るのは、一体誰だ?」

その言葉に、意味を推測して腰を奴から離した。

「そういう薄気味悪い冗談は嫌いだ」

暇を持て余して俺で遊ぶ気なんだろうが、いくらなんでも趣味が悪い。

素面でいるのが嫌になって、俺はカウチを離れて冷蔵庫からワインを取り出した。

そしてシングルのソファーに座り、一人で呑み始める。

「なんだよ、つれねえなあ」

ルパンもグラスを持ち出して、テレビをつける。

つまらないアメリカ製のドラマがやっていた。

俺はそれを見るでもなく、BGMにして甘く渋い酒を飲み続けた。

酒の度数は低かったが、数本飲めばほろ酔う。

そろそろ寝てしまおうとソファーを立つと、奴がついてきた。

「なんだ、外には出ねえぞ」

「寝るんだろ?一緒にどう?」

「遠慮する」

暇つぶしを俺でするなと思いながら、着込んでいたズボンを下ろす。

寝間着を穿き、上も着替えた。

それを奴は、ドアのところに背を預けて眺めていた。

「いい加減に出てけよ。遊ぶ気はないぜ」

「俺様もないな」

ベッドに上がろうとした時になって、ようやく動く。

だがそれは奴の部屋に向かってではなく、俺に向かってだった。

それも無視して、羽毛の布団を被る。

飽きて外に出てくれないものかと思った。

「次元」

「もう眠いんだ。暇なら女でも見つけに行けよ」

「こんなに寒いんだ、誰も外なんて出てねえよ」

奴はベッドに腰を下ろし、俺は背を向ける。

少し冷えた布団は、自分の体温で直ぐに暖かくなる。

眠気は段々濃くなったが、後ろの気配が邪魔で眠りに落ちれなかった。

「次元」

「…………」

呼びかけを無視し、暗闇を見続ける。

酒でほどよく酔っていて、気持ちがいいのに、邪魔をしないでくれ。

そう言いたかったが、返事が返ってくるのが嫌だった。

「遊びじゃない、本気だ」

言いながら、腰のあたりを奴が撫でた。

反応しかけたが、こらえて寝入るふりをする。

一かけらだって、俺は奴にそんな気は起きなかった。

数年間、ずっと相棒同士だ。

男女でもあるまいし、そんな気が起きる方がおかしい。

「七日だぜ」

その言葉と同時に、腰を上げて部屋から去っていく。

ドアが閉じると同時に、俺は無意識に落ちた。

 

 

翌朝、俺は一人きりのベッドで目覚めた。

今日は晴れているらしく、部屋の中は明るかった。

煙草に火をつけ、窓辺に立ってカーテンを引き、結露した窓を手で拭う。

身支度を整えた街の者たちが、雪を掻き分けていているのが遠くに見えた。

リビングに出れば、ルパンがいた。

それはいつも通りの光景で、驚くことはない。

キッチンテーブルで朝食のスープをすすっている目の前へ、俺もコーヒーを淹れて座った。

「おはよ」

「おはようさん」

マグを口にしながら、朝刊を引き寄せる。

束が薄く、大した記事もなかった。

「次元?まさか昨日言ったこと、夢だと思ってないよな」

「あ?」

何の話だと問い返すと、ソファー前のテーブルからワインボトルを持ってきて、俺の目の前に置く。

昨晩よりも花弁を広げた薔薇を見て、俺は奴の気まぐれが今も続いていることを知った。

そして、半分に折った新聞でそれを見ないようにした。

「遊ぶ気ならもっと趣味いいものにしてくれ」

暇つぶしにつき合うとしても、内容がいけない。

俺はコーヒーを飲み切り、今日は外に出ようと考える。

こいつもその間に、もしかすれば考えを変えるかもしれない。

「言ったろ、遊びじゃない。本当だし、本気だよ」

「寒すぎて脳幹まで凍っちまったのか?セリフも寒いぜ」

「ああ、そう」

食いかけにしたスープをかき混ぜながら、俺を見る。

薔薇もその顔も見たくなくて、俺は大きく新聞を広げた。

 

その後、俺は出たくもないのに街をうろついた。

ブーツに雪が染み込み、どうにも辛抱できなくなって数時間で戻って来ると、ルパンはいなかった。

俺は変な遊びを仕掛けてくる存在がいなくなり、ほっとした。

奴は夜になっても帰って来ず、一人で適当に飯を済ませて、シャワーを浴びた。

「ただいまー、じげぇん?」

俺が寝ようとベッドに横たわった頃、玄関のドアが開く音とともにいつもの声が聞こえてきた。

それから真っすぐに俺の部屋へ来た。

「次元ちゃん、一緒に寝ようぜ」

「まだ続いてたのか、それ」

じゃれるように、冷えた身体で布団の上に飛び込んできた奴に声をかける。

「続いてますよぉ」

そう言った奴の口が近く、酒臭さを感じる。

服は冷えているのに顔が熱く、結構な量を飲んだらしかった。

「抱くとかなんとか、女日照りで頭がおかしくなっちまったのか?」

楽し気に笑っている顔に嫌気は起きず、俺は労わるように頭を撫でた。

こいつは退屈を嫌う男だ。もしかすると、本当にどこか調子がおかしいのかもしれない。

次の仕事は、俺が何か持って来た方がいいかもしれない。

考えながら、見慣れた黒い目を見る。

「いーや、至って正常よ」

「どうだか」

奴が入りたがるので、俺はベッドの端に身を寄せた。

満足すれば出ていくだろうと背を向け、目を閉じる。

背後に一人の男が横たわるのを感じた。

「あー、狭え」

「そうだなァ」

ルパンはけらけらと笑い、俺の背中に抱き着いた。

「嫌がってたくせに、突き放さないよな、お前」

抱き寄せるように腕を巻きつかせてきたが、抵抗はしない。

こんな接触は、何も初めてのことじゃない。

仕事で敵に追われて、狭いベッドを二人で共有したことは何度もある。

その時と同じように、ただ体温の源である程度にしか、存在を感じなかった。

「気が済まねえとしつこいだろ、お前は」

「ふふ、俺様のことよく知ってらっしゃるね」

「何年一緒にいると思ってる。嫌でもわかるさ」

暗闇のまま会話をする。

そういえば、俺はこいつと組んで何年目だろうか。

五年はとっくに過ぎていると思うが、まだ十年は経っていない。

それだけ四六時中一緒にいると、家族に近いような感覚がした。

「じゃあ、抱かせてくれる?」

それ故か、その質問は俺にとってかなり違和感があった。

「お断りだ」

「なら、キスだけでも。な?」

覆い被さるように唇を近づけてきた顔を避け、手のひらで押し退ける。

「……お前には仕事が必要だ」

「おもむろに、なに」

「お宝に目が向いてないと、お前はおかしくなる」

お前は、今まで見てきたお前じゃない。

その意味を込めて言葉を返した。

「次元ちゃんさ、俺様の頭がどうかしちまったって、本気で思ってんの?」

「思うだろ。五ェ門や不二子に聞いてみろ」

「ふは、他人の愛なんざみんな気がおかしく見えるもんさ」

ぎゅう、と強く俺を抱きしめて言う。

どうにも現実味が感じられなかった。

「俺はさ、どーにもお前が好きなんだよ。だから抱いてみたいの」

「抱いたところでなんになる」

「恋人になるさ」

「……本気じゃないだろ」

暇つぶしの遊びだろ、こんなことは。

つき合うのに疲れて、俺はため息を吐いた。

それから早く仕事を見つけようと考え始めた。

「っ、おい……」

突然顔を掴まれ、柔らかい唇が、俺の口に触れた。

ただ一度食むだけの、試食みたいなキスだった。

「バカ、出てけ!」

さすがに布団から蹴り出すと、奴はまたけらけらと笑いながらドアへ向かう。

どこまでやる気なのかと、寒気がする。

その背中を見ながら、この遊びの終わりを真に願った。

 

 

目覚めた時、部屋は暗かった。

今日は曇りらしいと思いながら起き上がると、視界の端に人の形があった。

「おはよ、次元」

「んぶ、やめろ」

部屋着姿で、俺の隣に当然のように座っていた男がキスをしてくる。

さほど嫌でも好きでもないキスは、すぐに押し退けた。

「わざわざマウスウォッシュしてきたってのに冷てぇなあ。まあいいさ、朝飯にしようぜ」

そう言って揚々とベッドから起き上がり、俺の腕を引いた。

キッチンに出れば、コーヒーとサンドイッチという簡単な朝食が用意されていた。

それはよくある光景で、やはり珍しくない。

変わったことと言えば、ルパンが俺が来るのを椅子を引いて待っていることだけだ。

そんなことはしなくていいと追いやり、ダイニングセットの椅子に座る。

二枚組の食パンには、甘ったるい苺のジャムなんかが塗られていた。

「そろそろ食料が切れる。買い出し手伝えよ」

コーヒーを飲み切る頃、ルパンは口を開いた。

ああ、と返事だけを返して皿を下げた。

身支度を整えて二人で外へ出ると、雪は止んでいた。

だが空は厚い雲に蓋をされて、かなり冷えた。

助手席でマフラーを首に巻いて顔を埋めていると、ルパンはエアコンを入れた。

近場のスーパーで車を停め、カゴを取り、暖房の効いた店内に入る。

家族客とカップルがほとんどで、男二人連れは、俺たちの他にはいなかった。

「油ってまだあったっけか?」

「まだ半分あるが、ストックはないな」

何気ない買い物の会話に、何かもやもやとする。

一緒に暮らして久しいが、生活をともにしている感覚がくすぐったい気がした。

「久しぶりにステーキと洒落込むか」

「赤ワインが切れてる。補充しておかねえと」

肉売り場で分厚い肉を手に取った男に伝え、安ワインの中でも値段のいいものを選ぶ。

レジに並ぶと、中年女の店員が品物を転がして、それをまたカゴに戻す。

ここ数日分の食料は重たく、まだあの部屋での生活がしばらく続くのだろうと思った。

家に着き、物を片している時、俺はテーブルの上に薔薇がないことに気づいた。

捨ててしまったのだろうかと思ったが、いつの間にか俺の寝室に移動していた。

ぞっとするような、恐怖と羞恥が同時に襲うような感覚が背中に走った。

まさか、まさか本気じゃああるまい。そう思い込んだ。

奴がミディアムレアに焼いたステーキを口にし、ワインを飲みながら、目の前の男を少しだけ見る。

俺に取っては見慣れた顔だ。

その顔に、ましてや身体に、欲を感じたことはない。

本当にこいつが本気だったとして、受け入れられるだろうか。

そこまで考えて、俺は思考が流されていることに気づいた。

冷静になれ、こいつは根っからの女好きで、暇を持て余して趣味の悪いゲームをしているだけだ。

思考が迷路に入る前に引き返すと、肉の味を思い出した。

食後、逃げるように風呂場へ向かった。

冷え込みが強く、バスタブには熱い湯を張った。

長い夜の時間を、少しでも長く一人で過ごすためでもあった。

湯が張り終わり、湯気で温まったタイルの床に立ちシャワーを出す。

髪を濡らした直後、背後のドアが開いた。

「お邪魔しま~~す」

「お前な……」

背後を素っ裸のルパンが通り、俺が張った湯に悠々と身体を沈める。

「はー、どっこいせ。やっぱり湯船はいいやなぁ」

俺はどう突っ込んでいいものかわからず、そしてこのまま身体を洗うのを見せるのも嫌で、シャワーを出したまま、殴って追い出そうかと考え始めた。

「気にせず洗えよ。どういう風にするのか見てるから」

俺の背中を見るように、脚を伸ばして座ったルパンが堂々と言った。

「バカ言え。散々見たことあるだろ」

「そうだったな」

一緒に風呂に入ったことも、初めてじゃない。

日本の温泉街に訪れた時、ともに入ったことがある。

どちらかが怪我をした時、補助のために身体を洗うのを手伝ったことも、手伝われたこともある。

「……じろじろ見るな」

シャワー下の鏡から俺を見ている瞳に、気づいてしまう。

男が身体を洗うのを見て何が楽しいかなど、知れなかった。

それでも、恥ずかしがるのも女々しいような気がして、構わず髪と身体を洗った。

「背中に泡が残ってるぜ」

「ん」

言われて背中を見ると、流し損ねた泡が腰に引っかかっていた。

それを流し終え、風呂場を出ようとしたが、ドアノブを掴まれて開けられなかった。

「はい、どーぞ」

奴は伸ばしていた脚を畳み、隣にスペースを開ける。

その姿はどこか子どもっぽく見えた。

「なあ、ルパン」

諦めて浴槽に浸かりながら、呆れているという声色で語りかける。

「なぁに?」

「いくら仕事も女もないからってよ、俺で遊ぶこたァねえだろうが」

いい加減やめないと出て行くぜ。

脚を折りたたんだ窮屈なバスタブの中で、抗議する。

「遊びだなんて一言も言った覚えねぇけど」

ルパンは心外だと言いたげに、湿気った髪を撫で上げた。

「反応見て面白がってるだけだろ、お前は」

生憎だが、俺は遊ばれるのは好きじゃない。

特にお前は際限がない、もうごめんだ。

そう言葉を続け、片手で肩を擦った。

「次元」

その肩を、ルパンが掴む。

「ッ、……だから、やめろって……」

しっかりと唇に吸いつかれて、顔を背けた。

そんな気は俺にはない、キスをされても、胸に高鳴りはなかった。

「わからないか?それとも、とぼけてる?」

しつこく追いかけられてキスをされ、逃げて、水面に波が立つ。

「長くたって、あと四日だぜ。そろそろ俺の気持ちもわかれよ」

いつの間にか隅に押しつけらるような体勢になり、俺に逃げ場はなかった。

「そうやって、女に効いた技が通用すると思うな」

俺は、どうにもこいつが本気だと思えなかった。

何か確証があるわけではない。

強いて言えば、本気でしたいなら、力尽くですればいい。

それを適当に泳がせて、捕まえるふりをしている。そう感じた。

「弄んで遊ぶなら、他にもっといいのがあるだろう」

俺の言葉に、ルパンは黒い眉根を寄せた。

苛ついている顔だった。

「……疑ぐり深過ぎらァ、いくらなんでも」

それから、またキスをしてきた。

のぼせそうなほど熱っぽく、上手かった。

「お前は、やっぱり言葉じゃわからないんだな」

口にした言葉の後、ルパンはバスタブから上がり、さっさと身体を洗って出て行った。

それなのに、俺のベッドに寝転がっていた。

自分のベッドへ行けと声をかけたが、逆に引きずり込まれて、また狭いベッドで眠った。

ただくっつき合っているだけで、色気はない。

首元にルパンの息が当たるのが、少しくすぐったいが、不快感はない。

こういう風に過ごすことは、嫌じゃない。

さっきのキスも嫌じゃなかった。

嫌だという気持ちは、自分でも驚くほどない。

だが、それまでだ。それ以上は、何も思いたくなかった。

微かな月明かりでサイドチェストの上を見る。

薔薇は、徐々に萎れ始めていた。

 

 

部屋の中に、リップ音と水音が断続的に響いていた。

「はっ、ん、もう、しつけぇ、な」

「お前が口開かないからだろ」

「文句つけんな」

悔しいが、こいつはやっぱりキスがうまいらしい。

女相手に磨いてきた技をこれでもかと俺に食らわせてくる。

灰色の雲から雪が降りて薄暗いとは言え、まだ真昼間だった。

ソファーに押し倒されて、こんな深いキスをしながら、特段先には進まない。

進められたら、それはそれで困るのだが。

「なあ次元、今日はさ、しちゃおうぜ」

「なにをだよ、ん」

「知ってて言わせる?セックスだよ」

部屋着のワイシャツを手の平で撫で、ボタンを一つ外す。

俺はその手を掴み、離さなかった。

「バカ言うな。遊びだろ、ここまでだ」

「ひでぇなぁ、俺は愛してるんだぜ?」

表情は、さも愛しそうだった。

だが、それが俺に向けられているとは、どうにも思いたくない。

「意味のない嘘なんかつくなよ」

「まぁ~たそういうこと言う。お前はさ、行動を信じる男だろ。ならいっそ、してみた方がわかるんじゃないの?」

ぐ、と下半身を押しつけられる。

女と違って物があるのを感じて、腰を引いた。

退け、と覆い被さっていた身体から逃れ、コートを取る。

「夜には帰ってこいよ」

「そいつは、約束しねえ」

言い捨てて、また雪が積もり始めた街を車で走る。

あいつに追いかけられたくなくて車で来たのは正解で、酒場は開店準備中らしく、どこも閉まっていた。

ガソリンと煙草を満タンにし、駅前の駐車場で夜まで時間を潰した。

バーが開くかどうかの時間に外へ出て、靴が濡れないうちに地下への階段を下る。

たまたま見つけたのはありふれたバーで、客はまだ俺しかいなかった。

灰色の髭を蓄えた、サンタクロースのようなマスターに酒を頼む。

溶ける氷の先、よく磨かれたテーブルに映るハット姿の男を見つめる。

どこからどう見ても、男臭い顔だった。

あいつ好みとは思えない、骨張った顔だ。

悩んでるって顔だ。

マスターは底をついた酒を注ぎながら、口を開いた。

「悩むというか、困ってはいる」

聞いてもいいなら、どんな風に?

さほど興味はないようで、業務的に返される。

だが、それが丁度良かった。

誰かに興味を持たれるのは、面倒臭い。

「ずっとダチだと思ってた人間から、突然そうじゃないと言われたようなもんだ」

人間の感情は、計算式ではないからな。

決まりきった答えであり続けないものだね。

俺の女房も、ある時突然いなくなったさ。

そう言って笑い、自分にまで酒を注ぐ。

「一に一を足しても、二しかならねえと俺は思うがな」

足したり引いたり、いろいろ無意識のうちにしている。

相手の心の中でどんな答えが出ているかなんて、到底わからないものさ。

自堕落なマスターだったが、言っていることは正しかった。

だが、俺は感情が変わるということが、よくわからない。

今まで、ただの相棒だったじゃないかと、急な路線変更がめちゃくちゃなものに思える。

己の気持ちを、答えを伝えてみればいい。

縁は切れてしまうかもしれないが、それもまた人生だ。

マスターは他人事だと、好き放題言ってくれた。

だが、やはり一理あった。一時間ほどして、他の客が入ってきたのを機に車へ戻った。

部屋に戻ると、奴はまたパソコンを叩いていた。

ようやく仕事をする気になったのだと、ほっとした。

「おかえり」

「……ああ」

言ってしまおうか、俺にはわからないと。

お前は俺の相棒で、身体を繋ぐ意味がわからないと。

だが、それで奴との仕事も、今後一切会わなくなるということもありえるだろう。

何とかして、それだけは避けたかった。

同じ気持ちでないとしても、この男は俺にとってなくてはならない。

背中を通り過ぎ、酒で温まった身体のまま、ベッドに倒れる。

靴と上着とベルトは脱いだが、他は脱がなかった。

「一緒に寝ていい?」

奴も部屋着のままやってきて、いいとも言っていないのに隣に寝転び、俺を抱きしめた。

本当にわからなかった。

俺たちはこのままで十分じゃないかと、心から思った。

ただ、同じ気持ちになりたくないかと言われれば、違った。

悪くないとは思う。

悪い気がしているわけでもない。

こいつに求められて、嫌だとは、思わない。

だが、長らくの仕事仲間に突然そう言われてコロリと行くほど、俺は惚れっぽくない。

願わくば、前のままでいたい。

「ウィスキーが好きだね、お前は」

キスをされながら、黒い睫毛と白っぽい目蓋を見る。

悪くない顔だ、でも、見惚れたことはない。

惚れてこそいないが、俺はこいつに囚われている。

離れたくない気持ちはあった。

ベッドサイドの薔薇を見れば、落ちた花弁が現れていた。

あと三日もすれば、首をもたげ、花弁の縁は乾き切る。

それまでに気持ちにけじめをつけなければ、わけもわからないまま飲み込まれていくのだろう。

「次元、脱がせていい?」

「寒いから、嫌だ」

「ちょっとだけにしてあげるから」

言われながら、シャツのボタンをすべて外される。

腹を撫でられて、少し冷たい手のひらに鳥肌が立つ。

「ルパン」

「んー?」

「冗談じゃないなら、なんでこんなことをする」

前はこんなこと、素振りさえ見せなかったじゃないか。

尋ねると、ルパンは動かしていた手を止めて、俺の顔に自分の頬を寄せた。

「気づいちまったのよ。いつでも帰ればお前がいて、この先もお前は俺の側にいる」

そうしたらさ、手放したくないって思ったんだ。

お前が他の奴と組むとか、女ができたとかで出て行かれるのは嫌だってな。

縋るように背後から抱きしめ、俺の顎を掴んだ。

キスがしたいらしく、横を向かせられた。

「それと性欲は関係あるのか?」

「あるさ」

「ただの独占欲の延長線と違うか」

優しいキスを受けながら、黒い瞳と目が合う。

「次元、独占したいから抱くってのもないわけじゃないけど、もっと俺はシンプルだぜ」

「俺は、お前を愛してるのさ」

笑ってもいない、静かな声だった。

この男は真面目な顔をすると、悪くない顔だった。

嫌な気はやはりしなかった。

受け入れてやりたいとさえ、心の奥で静かに思う。

だがその感情の前には、俺の脚を踏みとどめる、何かがある。

「ッ、おい……!」

急に腰に当たったものが硬くなったのを感じて、驚き身体を離す。

「ドキドキした?」

へら、と笑い再度当てつけようとしている脚を蹴った。

「いってぇな~、照れるにしても加減しろよ」

ルパンは抗議しながら、トイレに消える。

その先を想像しないように、俺は目を閉じた。

口で言ってもわからない。

それは、本当にそうかもしれない。

欲情した塊を感じて初めて、俺は心臓が高鳴った。

 

 

翌朝が来ると、途端に奴と顔を合わせるのが恥ずかしくなった。

カウチに寝転がり、帽子を顔に乗せて、ひたすらに無意識の中にいた。

逃げようかと思った。

だが逃げたところで、何度シミュレーションをしても意味がなかった。

そして夜になると、再び風呂に一緒に入った。

じろじろと眺めてくる視線は無視して、また隣り合うように座る。

そして、先日と同じようにキスをする。

嫌ではなく、むしろ慣れた。

まだ、行為は対等だ。

だがいつ対等でなくなるか、時間の問題だった。

布団に入ると、ルパンは俺を脱がせた。

丸裸にして、触れていなかった部分を、手のひらで塗りつぶしていた。

くすぐったいが、悪くはなかった。

だが、あるところに触れて俺は奴を突き飛ばした。

「おいおい、まだなんもしてねえだろ」

言いながら、尻の谷間に手が入って来る。

「抱くとか、なんとか、本気でやる気かよ」

その手を掴み、俺は俯くしかなかった。

遊びじゃないのは、わかったつもりだ。

それでも、遊びであって欲しいと願う。

ただの恋人ごっこで、お前が笑って冗談だとやめてくれるのを祈っている。

「しなくたって、俺は……お前のモノだ」

離れられなんかしない。

お前を捨ててまで、目移りする価値があるものなんて、俺にはない。

自分の顔が熱くなるのを感じ、前髪を下ろす。

「熱烈な告白だ。でも、口だけじゃ証拠にはならない。お前が本当に俺のモノなら、その証を見せてくれよ」

冗談どころか、バカみたいに真面目腐った顔で、俺の顔を覗き込む。

やめてくれ、と視線を逸らす。

「今すぐじゃなくていいから、でも、あと二日だ」

尻から手が離れ、硬くなったそれが代わりに押しつけられる。

ぞくりと背筋に熱が走るのをわかりながら、ベッドから逃げた。

 

 

朝日の眩しさに気がつくと、ルパンは俺の隣で眠っていた。

そして朝飯の後、部屋に閉じこもっているのも疲れると、俺を街へ連れ出した。

娯楽の少ない街で、映画を見た。

かなりつまらないメロドラマで、俺は序盤で寝始めた。

起きたのは、ルパンに指を絡めて握られてからだ。

客はまばらとは言え、見られればすぐにそうだと悟られる。

離せと抵抗したが、結局終わるまで離してはもらえなかった。

安っぽいメロドラマに負けない行動に、俺は呆れていた。

きっと、こいつは俺に唾をつけておきたいだけだ。

甘い言葉を口にするが、結局誰一人、本気で愛していはいない。

本気にすれば、痛い目をみる。

長らく傍にいて、それをわかっていて、俺は心を空にした。

俺まで本気になれば、どうなるのか、考えたくもなかった。

部屋に帰ってくると、テーブルの薔薇は首をもたげていた。

花弁はかなり落ち、明日が七日目だと警告していた。

その時になって、俺は怖いのだと気づいた。

今までの関係が変わることも、この男に本気になる未来も、何もかも。

「とうとう明日しか残ってないぜ?観念して、今日にしといたら?」

ルパンが俺の髪に指を通す。

今はベッドの中で、お互い服を着て、向かい合って寝ていた。

シャワーは浴びてあり、確かに始めようと思えば、始められた。

「俺のモノになっちまえよ」

腿を掴まれて、ぞくぞくとまた背筋に熱が走る。

俺の身体は、すっかり覚悟をしていて、あまつさえ期待していた。

俺は自分の感情の式が変わってしまっているのを知り、悔しく、恐ろしくなる。

「お前はいいよな、好き勝手して、責任なんてさらさら取る気もないんだ」

行為の後、俺が苦しんだとして、助けてなどくれるだろうか。

この男の気まぐれは痛いほどわかっている。

明日には、なかったことにしてしまうかもしれない。

数日前なら、それがありがたく思えただろう。

だが今は、そうは思えない。

「どうしてくれんだよ、本気になったら。俺にだって、感情はあるんだ」

いっそ、俺はお前の玩具だと言われる方がマシだと思った。

俺も本気になると、歯止めが効かない。裏切られたら、右手が動くだろう。

そんな恐ろしい領域に、俺は踏み込みたくない。

「余計なことを気にする関係に、どうしてなる必要があるんだよ。俺だけ苦しませるな」

危険なのはお互い、理解しているはずだ。

理解して何故踏み込もうとするのか、俺には理解できない。

胸を突き離そうと胸に手を当てる。すぐに、手首を捉えられた。

「お前ってさあ、混乱すると自分だけってよく言うよな。俺の気持ちに答えもしねぇでよ」

捉えられた手首はそのまま動かず、胸に触れ続ける。

温かく、鼓動も伝わってくる。少し早いが、今は俺の方がずっと早かった。

「俺は最初から言ってただろ、愛してるって。本気だって、何度も言ったのに、聞かなかったのはお前じゃないの?

苦しんでるのは自分だけだってなんで言えるわけ?」

ルパンは少し怒っているように見えた。

手首を掴む力も強いままで、目つきも厳しく、口元も硬かった。

「お前は答えも言わずに逃げようっての?苦しめてるのはお前も同じだろ?」

強く責められ、俺は返す言葉が思いつかなかった。

奴の言う通りなだけ、言い訳などできるはずもない。

同時に、目の前の男がどれだけ本気なのか、欲望ではなく意思で感じた。

俺は俯くほか、できることがなかった。

ルパンはしばらく黙っていたが、ふと深くため息を吐いた。

手首を離し、俯いた俺の顔を手ですくい上げる。

視線が上がれば、自然と見つめ合った。

「悪い、言い過ぎた。でもちゃんと答えてくれよ。俺のこと、好き?」

「……ああ」

最初の答えは、それで精一杯だった。

「俺とセックスするのは、嫌?」

「嫌じゃ、ない」

セックスは、もう期待している。

「俺だけのモノになるのは?」

その言葉が俺を射抜く。

問われて初めて、心が動いていくようだった。

「それは、怖い……」

結局のところ、俺はそれが怖かった。

逃げ回り、夢や幻か、嘘だと信じたいほどに。

「相手は、お前なんだ。こんな怖いことがあるかよ」

もし、相手がルパンではない別の人間であったとしたら、こんな風にはならない。

軽い気持ちで受け入れて、時が来ればあっさりと離れる。

それができないのは、俺にとってそれができないほどの相手だからだ。

「お前じゃなきゃ、こうはならない。俺だって……本気だ」

最後の台詞は、言葉尻が窄まった。

そして羞恥で落ちようとする視線を堪えて、ルパンを睨み続けた。

「ふふ、お前が怖がりだってこと、忘れてたな」

睨む俺を、奴は照れるように笑った。

「本気になれよ、怖いなんてのは、俺がなんとかしてやる」

奴は熱を込めるように言いながら、俺から手を離した。

それこそ行動にして欲しいと、俺から唇に吸いついた。

 

「う、ぁ…あぐ……」

「きついか?」

その日の雪は、酷かった。

嵐のようで、街を埋めようとしているのかと思うほど。

それなのに俺は汗だくで、必死になって息を吐いていた。

「きついに、決まってんだろ……ああもう、最悪だ」

仰向けの腹のナカに、熱くて、人から生えてるものとは思えないほど硬い芯があった。

時間をかけて処理をして、丁寧に解されたが、奴のサイズが想定外だった。

苦しい上に、気持ちいいなんてものとはほど遠い。

「やめるか?別に苦しませたいわけじゃないし、徐々に慣れて……」

言いながら抜こうとした腰を、脚で阻む。

「次元?」

「こっちだって、本気なんだ。せめて一発終わらせろ」

徐々になんて慣れなくていい。

その間に、感情が変わる可能性だってある。

半端にされるくらいなら、いっそ今殺して欲しい。

「ふふ、おっとこまえ~、次元ちゃん」

「ふざけてんのかよ、クソ」

「わりぃ、そう思っちまったのよ」

口づけられ、しばしその温もりを共有するのに必死になる。

酸欠で、頭がぼんやりしたころ、ナカの雄が肉を引っ掻いた。

「んゥ、う……ルパン、るッ……」

身体の深くに衝撃を受けて、逃がすまいと抱きしめられていた。

この男の性を受け入れていることが、だんだんと身体に染みるようだった。

「ルパン、ルパン」

俺が名前を呼ぶたびに、律動が重くなる。

苦しいと言おうとして顔を見た。

間近にあった目は赤く、据わっていた。

怖くなるほど芯が強くて、遊びじゃないと、本気だとわかった。

「次元……」

「……あ、なん、だ…よ……」

「結婚しようか?」

「はあ?」

唐突過ぎて俺は素っ頓狂な声を上げた。

「だってさ、他の誰にも取られたくないし。お前は疑り深いから、俺だけのモノだって言っておかないとまた遊びだなんだって言いだすだろ」

俺の身体を揺さぶりながら、両手に顔を挟んで伝える。

せめて下半身は動かすなよと思いつつ、首に左手を回した。

「なんでもいいけどよ、捨てたら、殺すからな」

右手で作ったマグナムを、心臓に突き当てる。

「あは、りょーかい」

ルパンは笑ってキスをくれた。

言ってはみたが、お前が俺を捨てたとして、殺せやしない。

その時に銃口が向く先は、きっと俺自身だろう。

身も心もこいつに捧げてしまっては、後に俺に残るものなんか、ありはしない。

リターンのないギャンブルみたいなこの男に、俺はすべてを賭けてしまった。

どうか、この男の心根が変わることがないように。

感情の式が変わることのないように。

不可能を祈りながら、突き当てた指を解き、心臓の高鳴る胸に触れた。

 

苦労して一戦が終わり、シーツに二人で転がっていた。

俺は眠く、また背中から抱きしめられながら、暗い部屋を見る。

枯れ切った薔薇の花びらが床に落ちていた。

それはもう、捨てるしかなくなっていた。

恐れを知らなかった過去の俺が、そこにあるようだった。

 

 

 

END