ファーコンから数年後くらいのりゅじ。
俺とルパンは、気がつけば旧知の仲だった。
だが、お互いの過去を知ることは、俺はそれとなく避けていた。
昔を振り返ったところでロクなことは思い出さないし、そのロクでもない過去に自分が築き上げられてきたことを思い出したくないからだ。
俺はかつて殺し屋だった。
金という安い対価で、殺人という、どの国の刑法でも最悪の罪を熟してきた。
命を賭けるやり取りを積み重ねたおかげで随分腕っぷしは上がったが、それ以上のことは何もない。
「お前って、俺と出会う前って何してだんだ? 殺し屋の前に何か一つくらいはやってただろ」
その時の上物のスコッチは、ルパンにそう言わせた。
尋ねられて、俺は急に気持ちが醒めていくのに気づいた。
それまでルパンとの盗みを終えて、気分はすこぶるよく、起きたまま夢を見ているかの高揚感を感じていた。
それが、波が引くように素早く退いた。
「聞いたってつまらねえ話だ」
殺し屋の前は傭兵だった。
ダウンタウンで銃の腕を磨いた俺は、タダで重火器が扱えて、少ないながらも受け取れる金を目当てに戦場に向かった。
それから先、俺は逃げ場のない地獄を知った。
何度思い起こしても、嫌な気分になる。
「面白くなくていいさ。教えてくれよ、次元。俺はお前の全部を知っておきたい」
奴はジャケットを脱ぎ、青いシャツから汗の匂いをさせていた。
その腕で肩を抱き、スコッチを俺の杯に注ぐ。
俺がそれを飲み干すか、飲み干さまいかと迷っていると、スコッチの辛さで濡れた唇が頬に触れた。
「言うのが辛いか?」
「お前だって、苦い記憶をほじくり返されるのは嫌だろう」
「まぁね」
「人に話させたいなら、お前から言えよ」
俺は言いたくないあまり、ルパンより口数が増えた。
すると、ルパンは黄色いネクタイを留めていたタイピンをいじくった。
「いいのけ? 知っちまったら命狙われるかもよ?」
俺様の過去は賞金を懸けられてもおかしくないくらい、値打ちもんだ。
そうケラケラと笑いながら、タイピンを外した。
メッキではない、純銀でできたそれはテーブルの上に投げられて重い音を立てた。
俺はきっと、本気で奴が話すことはないだろうと高を括っていた。
奴も、俺にしつこく聞く割には自分の過去を話そうとしない。
ねんごろなんて言葉が俺たちに似合うようになってから久しいが、それでも出会った日より前のことを、欠片でさえ聞いたことはない。
今夜も本気じゃないと、俺は思った。
「死ぬ覚悟ができたら聞いてやるさ」
ふざけ半分、本気半分でそう答えた。
「じゃあ、お前はもう話さなくちゃいけないな。俺様は準備バッチシよ」
「聞いた後に撃たれちまってもいいのか?」
「もちろん、お前を思って死んじまうなら本物さ」
じゃれて俺の帽子を奪ったルパンが、それをテーブルに捨てた。
「お前は……どうしてそんなに口説くのが上手いんだ?」
帽子のつばに隠れることができなくなって、俺の言葉は服を脱ぎ始めた。
「お前の性感帯は知り尽くしてるからなぁ……外も内も全部。だからだよ」
そう言って、今度は唇に口づけてくる。
短く切り揃えた頭の後ろを触り、俺は目を閉じた。
放置された俺の手の中のスコッチは、ルパンの手で俺の腹に零された。
とくとくと流されていくものに情欲を感じながら、濡れたスラックスに触れてみせた。
1
「次元ッ、次元……ッ、まだ落ちんなよ」
「あぁ……ッ、ルパ、ア…ん、んンーーッ!」
俺は膝立ちになって、シーツの上に汗を振りまいていた。
背中には同じように汗を滴らせているルパンの身体があって、俺は目の前のヘッドボードに手をついていた。
互いの顔が見えない体勢で犯されると、感じるものがより鮮明だ。
奥に手加減なく押し込まれる雄が、ナカの肉を拓いてくる感触は脳に焼きつくほどで、壁の向こうに声が響かないようにと喉で殺した声で叫ぶ。
「はぁッ、は、ッ、次元……ッ、お前のここ、俺のこと好きだよな。いつも口じゃ言ってくれねえから、こっちで言うんだよな」
「うァ、あ、んんぅ……」
浅く突かれる動作に変わって、俺は呼吸を必死で続けた。
奴が俺に話しかける時は、ジョギング中のインターバルのようなものだ。
冷めているわけでも、小休憩でもない。
続く快楽のために、負荷をかけている。
「なあ、昔のお前って何してたんだ? こんな風に愛してもらえるって知らないうちはさ」
だがそれでも、スポーツだなんて言葉は似合わない。
これは競技じゃなく、演技でもない。
「い、言いたく、ねえ」
「言っちまえって。楽にしてやるぜ」
「嫌だ、言えね……」
「お前も頑固だな、もうお願いじゃないんだぜ」
「ッ……言いたくない……ルパン……」
今のセックスは懺悔みたいだった。
この部屋は懺悔室みたいなもので、牧師はルパンだ。
ルパンは俺に話させようとしている。
過去のことを洗いざらい。
言った方が楽になると、恫喝していた。
「聞くのは俺だけなのに、それでも言わないか?」
「ひ、あぁあッ!!」
バチン、と音が立つほど腰を穿たれる。
思わず声を上げ、それと同時にナカが絶頂を登り始めた。
しばらく触られていないおかげで、俺の雄は揺れながら先走りばかりをまき散らしていた。
「ルパ、無理だ、寝かせてくれ、あうッ」
膝立ちでいることさえ辛く、俺は倒れたいと上半身を傾けようとする。
そうさせないように、ルパンは俺の両手首を掴んだ。
馬の手綱を掴むように。
「ア、あッ、あっ!」
「言わないんならイけよ。早く、ほら」
身体を揺らされるたび、唾液が口の端を伝い、先走りと同じように撒かれる。
シーツはローションと俺の出した体液で見てわかるほど濡れていた。
「う、んうぅウ……!!」
訪れた絶頂に身体がわななき、思わずのけぞった。
ぎちぎちとルパンの雄に食いつく穴の縁が硬いことを感じながら、全身を、身体中の血管を満たしていく快楽に意識が飛びそうになる。
「っ、ふ……ッ……やべ、我慢できねーわ」
ルパンが言いながら引き寄せるように二の腕を掴み、抱き寄せた。
息ができなくなるほど抱き締められた上で射精をされる時、俺の目からぼたぼたと涙が伝っていた。
気持ちがよ過ぎて、呆然とするほどだった。
「はは……次元、生きてる?」
腕の中でぐったりとした俺を笑いながら、濡れたシーツの上に仰向けで寝かせた。
薄暗い天井を見つめていることさえわからなかった俺は、雪山で死んでしまわないように必死に起きている時と同じ気分だった。
「次元ちゃん、いっぺん替えっから」
言いながらぐちゃぐちゃに捩れて濡れた布切れを引っ張る。
俺はベッドからずり落ちて、壁に背をもたれさせた。
そしてホテルのベッドメイクのようにきっちりとシーツが敷かれた後、よろよろと寝ころんだ。
余韻の引かない激しい情事なのは悪いことではなかったが、寿命を削っているような体力の消耗を感じた。
「お前がなんで人を殺せるか、理由がわかったぜ」
俺はおもむろに言ってやった。
奴は基本的に物騒だが、好んで人を殺すようなことはしない。
だが、殺す時には容赦なく殺してしまう。
自分の命を狙ったからという真っ当な理由がほとんどだが、俺のように、殺さなければ殺されるという切羽詰まった答えから出た理由とは、出所が違うとよく感じた。
殺されるという恐怖からじゃない。
奴は人を殺す時、その人間をどこかに見捨てている。
それなのに目に入るのが目障りで、殺してしまう。
容赦なく絶頂に飛ばされた俺と、同じ部分がある気がした。
「へえ、採点してやるから話してみろよ」
ヘッドボードに背を預けた姿勢でジタンを咥えて、煙を歯の隙間から緩く吐く。
「幻滅してるんだろ、そいつに」
「正解、10点くれてやるよ」
「幻滅して……自分の視界から消したくなる」
俺は頭まで茹だっていて、普段のピロートークなら黙っていることも吹き零していた。
吹き零れたものは、炎に当たるとより強く燃え上がるとも知らず。
「今日のお前はするどいな。また10点」
ルパンは俺の髪を撫でた。
散々振り乱してところどころが絡まってしまったのを、指先で器用に解いていく。
「だから、今日は俺まで殺した。幻滅したんだろ」
お前にさえ自分の過去を必死に隠す俺の無様さに。
「お前には幻滅してねえよ。まあ、ちょっと苛ついたけど」
惜しいな、5点だと続けながら、爪の先で髪を掻き分けて整える。
荒れた髪は、少し汗に軋みながらも普段のようなセットに戻った。
段々と理性が戻ってきた俺は、そこで俺に過去を話させようとしつこい男を見上げた。
ルパンの目は瞳孔が大きく広がり、黒かった。
「言ったら傷つくんだ、俺だって」
傷みを怖がって何が悪いと、俺はその目から逃げた。
「そんなの知ってるさ。でもさぁ、傷いても治ればそれきりだろ?」
ルパンは、ルパンという皮を被った男は、何でもないようにそう言った。
まったく、過去に何をやってきたのか、恐ろしくなった。
何をどう生きたら、そんなことが言えるようになるのか。
人間の心の傷を、物理としか見ていないような、そんな言葉を。
しかし、そんな男が俺の過去など聞いたところで動揺などするだろうか。
下手に慰めたりするだろうか。
そんな余計なことは、しないと違うだろうか。
「傷口を開くのは痛えけど、その方が案外きれいに治ったりする」
ルパンは言いながら、裸のまま俺を正面に抱き締めた。
「ん……あ、もう、終いだろ」
そして濡れたままだった尻を、指毛を擦りつけるようにして撫でた。
「お前が言うまで、終わりにする気はないね」
「ん、あッ……」
奴が俺の穴に指の腹を当て、離す。
まだ残っていた精液が糸を引いた。
ルパンが咥えていた煙草は、俺が灰皿に捨ててしまった。
2
「ガキの頃、どこにいた?」
「はぁ…ん……ニューヨークだ……気がついたら、いた」
慣らす必要もなく雄を受け入れた穴を緩く擦られながら、俺は語り始めた。
「気がついたら? 思い出せないのか?」
「ああ……日本で生まれたことは覚えてるが、途中がすっぽり抜けてる」
「そう……それで、誰かに拾われたか?」
「アジア人の子どもなんて野良犬と一緒だ……野良犬と一緒に育ったさ」
今は熱い肌が目の前にある、正常位だった。
ルパンの顔も間近にあり、時折相槌を打つようにキスをした。
「いつの間にか、銃を握った。いつの間にか人も殺した」
俺は、何故か十八になる前の記憶がぶつ切れだった。
無意識に蓋をしているのかも知れない、本当に思い出せないと、ルパンの舌に吸いつきながら言った。
「銃の手解きを受けてからは思い出せる。飲み込みがいい俺を拾ってくれた組織があった。しばらくそこで過ごして、抗争で潰れちまってから、途方に暮れた」
親を失ってしまったように俺の立場は不安定になった。
その時代のアジア人というのは、ニューヨークの白人社会ではかなり蔑まれていた。
蔑まれているというより、眼中にない、相手にしない。
そういう空気だった。
居場所がなく、俺は戦場へ逃げるように向かった。
「あ…っ、あ、ルパン……」
「途方に暮れて、どこに行った?」
律動が少し激しくなる。
続きを口にするのを急かしているらしかった。
「戦場だ……何回目かの中東戦争があって、そこで……」
俺は普段なら手に取れないような重火器を扱った。
M60機関銃や、M72LAW、L42A1スナイパーライフルといった、リボルバーよりも大柄なもの。
それ以上のもので言えば、戦車砲も扱った。
非公式な武器も扱うことができた。
一言でいえば、楽しかった。
「俺は指揮官向きじゃなかったが、狙撃兵としては誰にも負けなかった」
それは、それだけ殺したということだ。
俺は何人殺したか自分で数えきれなくなった時、正気のかわりに狂気を捨てた。
どんなに殺しても、狂わない精神だ。
「そうだろうな、お前は銃の天才だからな」
「は、ん…んん……」
ゆっくりと前立腺を雄で押し上げられて、理性が逃げていくようだった。
「戦場で、何を知った?」
ルパンは行為と同じように、話の確信をゆっくりと突き上げた。
どんなに快楽で溶けかけているとしても、言葉が詰まった。
言葉にしたことがなかったからだ、その時の感情を。
言葉にすれば実態を持つ。実態を持つと痛みが出る。
「言わなきゃ……ダメか?」
「言わなきゃ、わからない」
首に唇を押しつけ、ルパンは続きを促した。
陳腐だぜと、俺は予防線を張った。
「この世界が地獄だってことだ……俺が、その地獄に加担する側だってことも……」
それを知ったのはもう何年も前のことだが、言葉にするとやはり突き刺さった。
誰も自分が悪だと気づきたくなんかない。
「あ、ああッ、んぐッ」
急に律動が激しくなり、痺れそうになる。
ルパンの身体に揺さぶられて背中とシーツが擦れるのを感じて、息が上がった。
だが正気でいられるほどの強さで、もどかしかった。
「だから帰ってきてから殺し屋になったのか? 自分が殺されたくねえから」
ルパンからの問いかけを聞き、俺はその顔を見上げた。
薄く微笑んだ顔は蔑みではなかった。
遠く過ぎ去ったことだと、笑う顔だった。
それを知った時、俺は胸の中で濁りが洗い流されていくかのような感触を覚えた。
「ああ、殺されたくなかった」
「だから、お前って俺と出会った時あんなにツンケンしてたんだなあ。全然気も許してくれねえで、反抗ばっかしてさ」
「お前が馴れ馴れし過ぎたせいで、警戒したんだよ」
「早く仲良くなりたかったからなぁ、こっちも含めてさ」
言葉に乗って、頬を撫でた手のひらの先にある身体が覆い被さってきた。
それを両腕で抱きとめて、背中に腕を巻きつける。
また、心臓にこびりついた濁りが浮いて流れていくような感触がした。
懺悔を聞き遂げられたなんていうのは、ありきたりなことだ。
言ったところで相手が何を知るというだろう。
知られただけ、俺の薄汚れた部分を見せただけの、見せ損だ。
損なだけならいいが、知られたという行為は取り返しがつかない。
知られたという暴力に、俺は殴りつけられる。
俺の、過去を語らない意思に潜んだ捻くれた思いは、いつの間にかどこかへ去っていた。
今は赦されたことへの安堵が、この腕に宿っていた。
「お前は……足を洗ったら牧師が向いてるぜ。荷が降りた気がする」
会話の中に、突然の言葉を向けた。
ルパンは俺の言葉にかなり驚いて顔を突き合わせてきた。
「自分の古傷抉ってくる奴に、そういう台詞言っちゃう?」
お前が傷つくって身構えてた俺の覚悟はどうなんのよ、とまるで自分が損をしたかのように喚き立てる。
「うるせえな……そう思ったんだよ」
俺はそう言うしか、仕方がなかった。実際、ルパンが俺に言わせようとしなければ、こんな安堵は死ぬまで感じなかっただろう。
「あは、わからねえーなぁ、お前って。ほんとによくわかんねえや。だから好きなんだよな」
ルパンは喚きをそんな言葉に変えて、また抱きしめてきた。
そして最初にバックでやった時のように激しく、ナカを掻き回し始めた。
「あぁ、あッ、あ、ルパン……ア、奥、あた、る……ッ」
ただでさえ奴の雄は奥に届きやすいというのに、長いストロークを一心不乱に食らわされて身を捩った。
「鬼ごっこじゃお前に勝ち目はないぜ」
「あァ、あ、んぐ、ぅう……ンぅ……ッ」
言葉の通り、追われて追いつかれて、それでも俺が鬼になることはなく、永遠に追いかけられ続けた。
次第に俺は、逃げることを忘れて迎え入れた。
脚を開き、腕は肩を抱き締めて、身体の奥に響く快楽を享受した。
「ルパン、ルパン……ッ! 気持ち、い……奥、いい……あ、もっと……」
そして今まで頭の中で反芻するだけだった気持ちを、恐れずに言葉にした。
「あーあ、やらしくなっちまって。古傷もここも抉られるのが好きか?」
煽り立てる俺を、ルパンは黒い目で見つめた。
ただ記憶に刻むためで、俺を責めてはいなかった。
「ゆるしてくれ……」
気がつけば、何度もその言葉を揺さぶられながら口にしていた。
「あっ、ぁあ……ルパン、ゆるして、くれ……」
「ああ、何でも赦してやるから、残ってるなら、言ってみな」
俺は促され、ひたすらに自分が犯した悪行を話し始めた。
同じ話も繰り返していた。
その度に赦してやると囁かれれば、身体は内も外も悦んだ。
何度も同じ傷を、悪戯に抉られては治され、治されては抉られる行為は、快楽だった。
心までこの男が犯していると気づいたのは、何年か後になってからだった。
END