Garnet and crack

赤道に近い国は、暑い。とにもかくにも。

着ていられなくなったジャケットを肩にかけ、腰に銃を隠しながら俺は平坦な道を歩いていた。

日焼けした子どもが走りながら横を通り過ぎ、白壁に阻まれた道の先を行った。

スペインの街並みによく似た、石造りの道と鉄製の街頭が立ち並ぶこの街は、スペインにはほど遠い国だった。

何度も他国の侵略を受け、今もなおその影響が色濃く残る国。

ようやく独立し他国の手を離れたかと思えば、独裁政治が始まっている。

透き通る青い海や、底抜けに高い空、のどかな住民たちこそ落ち着いていたが、実は内輪の小競り合いが絶えない国らしい。

そんな国に俺は呼び出されて、手紙にあった地図を頼りに街をさ迷っていた。

ニューヨークやヨーロッパのような区画整理がないために、俺は徒歩二十分の道のりを、倍の時間はさ迷っていた。

地元の人間に英語は通じたが、奴らは教えてくれるものの適当で、一向に辿り着けなかった。

結局一時間かけて、目当てのアパートに辿り着いた。俺は、その前まで来て立ち止まった。

奴とは、前回のことがまだ心に残っていた。

ヨーロッパで仕事をした後、問答無用で身体の関係を持たされた。

それ自体は野良犬に噛まれたとでも思えばいいのだが、奴は俺と暮らそうと持ちかけた。それが嫌で一度離れていた。とはいっても、せいぜい三か月くらいだろう。

その間、奴は一度も仕事のこと以外で俺に連絡はして来なかった。

それでも、奴の共に暮らそうという誘いは終わっていない。そのことは承知だった。

『安心しろよ。仕事だから』

一度だけ電話があった時、奴はそう言った。

そうじゃなければ、向かうはずがなかった。

扉をノックすると、中から物音がする。

外開きらしい扉から少し距離を開けて待っていた。

「よぉ、元気だったか?」

「……ああ」

タンクトップとトランクス姿で出て来たのは、見慣れた猿顔だった。

その猿顔は薄く微笑み、俺を部屋の中に招き入れた。

「随分遅かったな。汗だくだし、迷ったのか?」

「お前の書いた地図が適当過ぎたんだ」

リビングの中央にある赤いソファーに腰を下ろし、汗でヨれた紙切れをガラステーブルに放り投げる。

「だから迎えに行ってやるって言ったのに」

奴はこの国の茶らしいものを俺に差し出し、地図を千切ってゴミ箱に捨てた。

「誰かに見られたら困る。俺はともかく、お前は目立つ」

髪こそ黒いが、肌は白く、眼も灰色。

素で歩けばすぐに住民に顔を覚えられそうだった。

「俺ほどのいい男が外出たら、そらみんな騒ぐわな」

奴はいいように解釈して、手紙は読んだかと俺の隣に座った。

手紙は一度読んだきり、懐にしまいっぱなしだった。

確か、独裁政権が貯め込んだ純金がどうとか。

「金塊がどうとか書いてあったな」

「そ、ここらは海に囲まれてるだろ。たまにちょっとした金脈が見つかることがあるんだが、半年前にデカい流れが見つかった。ここまではよくある話だが、強欲な独裁者が根こそぎ取り上げちまったんだ」

「それもよくある話だ」

クセのある茶をすすりながら、茶々を入れた。

「まぁな。そんでもって、金塊ってのは採掘しても採算が取りにくいんでよ。奴さんある程度取ったら売りにも出さずしまい込んでるんだ。まるで盗んでくださいって言ってるようなもんだろ?」

奴はコーヒーを口に含み、その証拠らしい新聞の記事なんかを机の上に並べた。

「重要なのはアガリだ。苦労して盗んで延べ棒一本じゃ困るぜ。採掘のわりに採算が取りにくいのはお前の仕事でも同じだろ」

「相変わらず手厳しいな」

ルパンは丸い目で俺を見て笑う。

痛くも痒くもないといった顔だった。

そのままソファーの背に背中を預け、両手を頭の後ろに回す。

「地元の住人が精製の仕事に招集された時の話を考えると、推測するに一トンはある。

それでも今売っちまうと結局赤字になるから、金の高騰を待って眠らせてるんだ」

折り紙は俺様がつけるぜ、と自信満々に言い、片腕を俺の肩に回した。

「もちろん、手伝ってくれるよな。次元ちゃん」

ニカ、と毒気もなく笑う。

それは友人同士のような笑顔で、俺は帽子を脱いで額の汗を拭った。

「やってやってもいいが、俺の出る幕はあるのか?」

「当然。でなきゃ呼ばねえよ」

当たり前のことを聞くなよとつけ加えて、俺の肩を叩く。

「細かい話は後にしようぜ。お前汗臭いし」

シャワーでも浴びろと促され、俺は素直に立ち上がった。

持ち込んでいた着替え入りの鞄と共に、浴室に入る。

インフラの整備が微妙な国らしく、水は出たがいつまで経っても湯には変わらない。

暑かったこともありその時は丁度よかったが、長く暮らせば風邪を引きそうだった。

シャワーを終えると、奴はソファーで煙草を吸いながら俺を待っていた。

「腹は?」

「空いてない」

この暑さで食欲も失せる。つけ足して隣に座り、早く続きをしろと促した。

「焦んなよ、そんな急ぐ仕事じゃないぜ」

奴の言葉を聞き、俺は片眉を上げた。

手紙にはなるべく早く来いと書いてあったから、わざわざ滞在していたアメリカから飛んで来た。

「観光でもしていけよ。この国じゃ日本人は好かれるぜ」

呑気なことを言いながら煙草を続け、資料らしいメモを見ながら一本を吸い切る。

「こんな天気で外に出られるかよ」

今も太陽の熱が降り注ぐ外を揶揄し、俺も自分の煙草に火をつける。

前回のこともあり、俺はこいつの自分勝手さを多少諦めているところがあった。

俺にとって不利益なら抗議はするが、仕事の準備も大方あちらで済ませてしまい、寝床も準備されている状況下では不利益でも何でもない。

むしろ、ここで文句を言えばダダをこねているのは俺の方になる。

「なら、夜に観光でもすっか。ナイトマーケットとかさ。お前は腹が弱いから飯はレストランじゃないとダメだな」

勝手に話し、ここらはスペインやアメリカに占領された歴史があって昼間なら西洋風の教会が観光の見どころとも続ける。

じっくり見るとなれば、もっぱらビーチの女たちがいいとも言っていた。

「何でもいいが、いつ決行するのかくらいは教えろよ」

出された茶を飲み切る頃に言うと、奴は考える素振りを見せて、黒く短い髪を撫でた。

「それは明後日次第だな」

「明後日に何かあるのか」

「ああ、独裁政治に一矢報いようっていうレジスタンスたちが、宝物庫を襲う予定なんだ」

さらりと言い、俺に新聞を渡す。

広げてみれば、片隅の記事に廃墟を背にした布マスクの男たちが写っている。

「先を越されちまうじゃねえか。指を咥えて見てんのか?」

俺が煽るように言うと、奴は不穏に笑った。

まるでレジスタンスたちは成功しないと言わんばかりだった。

「それも、明後日にはわかるさ」

それだけを言い、俺から新聞を回収した。話に区切りがつくと、上はタンクトップ一枚だった奴がシャツを羽織った。

下は現地人らしく薄い布のズボンを穿き、ポケットに財布を突っ込む。

出かけるのかと声をかけると、ライ麦畑の彼女とデートだと言って部屋を出て行った。

俺は、生温い空気の中に一人残された。

何だ、前はアレだけやっておいて。

そう思ってしまう自分がいた。

好意だとか何とか抜かして、人の身体を弄んだ上に、愛してるだの何だの抜かして、人の心を掻き混ぜた。

仕事の誘いを受けた時、俺はそれなりに覚悟してここに来たというのに。

当初は、何度も断ろうと考えた。

だが、ルパンという男がもたらす仕事とスリルは、断るには惜しかった。

奴が男に本気になるような性分にも思えず、前回のことはただの気まぐれだとも考えられた。

内心また迫られると覚悟していたが、先ほどの様子にそんな気配はない。

改めて身勝手で無責任な奴だと考えながら、キッチンを漁った。

俺好みの酒が何本かストックしてあり、色気のないコップと共にソファーへ持ち出す。

部屋にテレビはなく、ラジオだけは一台あった。

チャンネルを合わせれば、この国の訛りが混じった英語の番組に辿り着いた。

ニュースと、少し真面目な討論、コメディアンの音楽番組。

この国の人間は陽気なのか、パーソナリティはみな明るかった。

南国は太陽の恵みが幸いして、人間性の明るい奴らが多いという。

混じりたいとは思わないが、暗いよりかはよっぽどいいと言えた。

酒を飲み、日が暮れた頃に帽子も被らず部屋を出た。

さすがに腹が空き、少し食べようと考えていた。空港から歩いてきた道のりを遡ると、レストランなんかがいくつかやっていた。

適当に入れば小麦色の肌の住民たちが豚肉料理を食べていて、メニューも豚肉ばかりだった。

見るからに脂っこそうだったので、現地風のオムレツと細長い米を注文した。

黙々と食っていると、地元の親父が隣の席から話しかけてきた。

日本人か?

問われて、そうだと答える。

そうか、日本人は真面目で作るものもいい。

お前さんは観光客か、それともビジネスマンか?

頭に白いものを混ぜた親父は、酔っているのかどんどん話しかけてきた。

それに適当な返事をする。

愛想よくしたつもりはなかったが、日本人はシャイが多いからあまり話してくれないもんだ、と勝手に納得する。

食い切る頃には、俺はそそくさと店を出た。

顔を覚えられても困る。

まあ、あの様子じゃ明日には俺と話したことさえ忘れていそうだ。

特段心配する必要もないだろう。

部屋に戻ると、出て行く時に消した灯りがついていた。

奴が帰って来ているのかとドアを開けた。中から声が聞こえる。

俺は奴が客を連れて来たのかと思った。

だが、どうも様子がおかしい。

声はするのに、会話じゃない。それが女の嬌声と奴の声だとわかった瞬間、即座にドアを閉めた。

連れ込みなんて勘弁してくれ。

考えながら、街に戻る。そして人気のない路地裏に辿り着いた。壁に背を預けて、煙草を吸う。

そして、いつまでこうしているものかと思う。

南国とはいえ、夜中に外で寝れば体調を崩しかねないし、治安がよい街かもまだ知らない。

ここがアメリカやヨーロッパなら、適当に宿を見つけることもできただろうが、この付近は住宅地らしくそんなものを見かけてさえいない。

少し前なら、ウィーンでのことがなければ、俺は構わず部屋に戻って、自分の寝床で寝ていただろう。

奴が女を連れ込もうが、目の前でヤられようが、それは俺には関係のないことだった。

だが今は、俺がされたことを目の前で再現されている気がするだろう。

奴にそんな気がないとしても、そこまで無神経にはなれなかった。

小一時間が立ち、部屋の方へ戻ると灯りが消えていた。寝静まってくれたことを祈り、またドアを開ける。

中は静かだった。

灯りをつけて目を覚まされるのも嫌で、真っ暗な中で壁に手を突いて進む。リビングの他に、もう二部屋ついていたはずだった。

一つ目に開けた部屋に人影も性の臭いもなく、ほっと息を吐いて中に入り、扉を閉めた。おそらくこちらが俺の部屋だろう。

また汗を掻いてしまったために、シャツを脱ぐ。

替えはこれ一つであったために、他に着るものがなかった。

部屋を見渡すと、洗濯はしたものの畳んでいない服がやたら広いベッドに散らしてあり、仕方なくそれを身に着けた。

このアパートには先に奴がいたからか、この部屋は男臭かった。

香水と、西洋人独特の体臭が混ざったような不思議な匂いがする窓を開け、その匂いを薄めてからスプレッドだけを腹にかけてベッドに入る。

シーツの上に身体を横たわらせると、どっと疲労を思い出した。

また、奴に振り回されている。わかっていたこととはいえ、俺はまた逃げ出したい気持ちになっていた。




この国の女は健気で可愛げがある。

どこの誰かと違って素直だ。

俺は街で引っかけた美人とデートに出て、部屋に連れ込んだ。

セックスをするなら、つき合うと約束して、と言われ、もちろんと返した。

この国に滞在するのはせいぜい一週間かそこらだろう。

その間だけならばと、心の中だけでつけ足した。

その彼女との真っ最中に、ドアが開く音が聞こえた。

微かだったが、職業柄聞き逃したりはしない。

多分飯から帰って来た次元だろう。

どういう反応をするだろうかと、目の前の女ではなく痩せた男の顔が浮かぶ。

嫉妬するか、嫌味を言うか、それとも傷ついたりするだろうか。

たった三秒ほど考えた直後、ドアが閉まる音がした。部屋に人が入って来た気配はない。

逃げる、を選ぶか。考えながらそろそろ情事を終わらせようと考える。

暇つぶしと、次元の反応が見たくてやったことだ。

目的を達すれば長くする必要はない。

行為の後すぐに彼女を近場に停めていた車で送り、暗闇の部屋に再び戻った。

リビングに次元の姿はなく、首を傾げた。この付近にはホテルはない。

車もない状態では、この部屋しか寝る場所はないはずだ。

部屋の中を探すと、俺の寝室に黒い頭が見えていた。

この国の暑さがこたえたのか、深い寝息を立てている。

暑いらしくスプレッドを腹にかけていた。その上俺の服を身に着けている。

それは誘っているのか?

情欲がそう思わせるが、次元の性格を考えるとその可能性は低かった。

昼間、奴は部屋の散策をしなかった。

少ない荷物で来て、着替えもほとんどなさそうだった。

おそらく、ここが自分の部屋だと勘違いして、服もあるものを適当に着ただけだろう。

呆れるほど、無防備な奴だ。

俺は本当に呆れた。

俺はこの仕事のために声をかけた時にもそう考えたのを思い出す。

前回は慌てふためくように逃げたくせに、仕事の話だと言えば俺のもとに来る。

無防備過ぎる。よく殺し屋なんて阿漕で非情な世界でやってこられたものだ。

俺は不思議にさえ思いながら、ドアを閉めた。

それからリビングに戻って、ソファーに寝転びながら煙草を吹かした。

次元大介という男は本当にキュビズムによく似ている。

多面的で、不安定で、複雑。

理性的で無表情かと思えば、短気で直情的なところもそうだ。

仕事ではおおいに役立ち、信頼に足る義理堅さもある。

やはり手元に置いておきたい男だ。

この仕事が終わったら、奴が嫌だと言っても傍に置こう。

本当に奴がそれを嫌がっているなら、この仕事にだってそもそも来るはずがない。

首輪を着けるなら、今だった。


 


朝を迎え、女はまだいるのだろうかと思いながらリビングに出る。

ソファーには奴一人だった。

「おはようさん」

「……連れ込むなら事前に言え」

奴の目の前を通り過ぎ、冷蔵庫を開ける。

水を取り出して飲む中で、背後から声がする。

「ああ、昨日のか」

奴が言ったのはそれだけで、俺を気にする様子もなくテーブルに小型の無線機を乗せる。

「電気はつけないでくれよ。電圧が弱いんだよ、この部屋」

電源を入れながら、相手が俺でも昨夜の女でも言いそうなことを言う。

イヤホンとダイヤルを調整し、俺のことなど見えていないようにも見えた。

その姿に、無性に腹が立ち始める。

俺を、やはり道具か玩具程度にしか見ていないんじゃないか。

高飛車で他の人間のことなど自分の引き立て役にしか扱わない男とわかっていたが、まさにそのことに腹が立つ。

男の隣に乱暴に腰を下ろし、無線機のあるテーブルに思い切り踵を落とす。

ガラス製だったそれには、軽く亀裂が入った。

「おい、壊すなよ。けっこうしたんだぜ」

「うるせえ」

一蹴し、さっさと仕事をしろと無線機を蹴った。

少しくらいは八つ当たりをしなければ、気が済まなかった。

奴は苛立つような顔をした後、気味悪く笑った。

「ああ、嫉妬してんの?カワイーね、お前」

ずれたダイヤルを直しながら、舐めた台詞を口にする。

「……撃つぞ」

言葉の意味は嫌というほど通じて、俺は頭の血管が切れそうだった。

「拗ねるなって。お望みならこの後抱いてやるよ」

とどめを刺すような台詞に、顔の表面が痺れるほど頭に熱い血が上った。

テーブル上の踵をもう一度思い切り蹴り落とせば、粉々になったガラスと共に無線機が床に落ちる。

「わーお、粉々」

さすがに驚いたらしく、奴は砕け散ったガラスを見ながらイヤホンを外す。

「怒るなよ、次元。真面目に仕事すっから機嫌直せって」

ようやく謝り、ガラスの中から無線機を拾い上げた。

イヤホンの穴からザワザワと砂嵐が聞こえ、どこかの会話を盗聴しているようだった。

「レジスタンスのリーダーが今日の深夜に奇襲をかけるってんで打ち合わせしてんだ。俺たちもそれを見物させてもらう」

淡々と言い、イヤホンに意識を傾ける。

そのうち片方を外し、俺にも聞いておけと促してきた。

俺の怒りは収まっていなかったが、舌打ちをして大人しくそのコードの片方を受け取った。

『対象の周囲には地雷原、その先には鉄格子の壁、そのまたさらに奥に、複数のスナイパーがいる。スナイパーは手練れで、近づいただけでやられる。どこから撃ってくるかを把握するには時間がいる……』

スナイパーという単語を聞いて、俺は意識がそちらに向いた。

想像するに、宝物庫の周囲は、円形に防衛線が張られている。

人間の視野は一二〇度程度と考えれば、少なくともスナイパーは三人以上いるのだろう。

そんな中に飛び込めば、ハチの巣もいいところだ。

『奴らの目を潰すために、閃光弾が必要だ。目立つが、祭りの花火に紛れるはずだ』

「祭り?」

そんなものがあるのかと呟くと、ルパンがキリスト教の祭りだと答える。

「ダンサーが街に溢れて、夜まで続く。花火なんかも上がる。そのお祭り騒ぎを利用しようって寸法だな」

そこまで聞くと、やはりレジスタンスたちに先を越されそうだった。

殺し屋の前にしていた傭兵の仕事で、似たようなゲリラ作戦をよくやった。

油断している時を狙うのは、正しい戦法だ。

「これじゃあ、やっぱり先を越されるぜ」

俺が呟くと、ルパンはまた不穏に笑った。

その笑みの意味がわからず、俺は見つめ返す。

『仲間に知らせろ、計画は実行する。成し遂げた際には、黄金を持って奴らに復讐する』

無線はそこで途切れ、ルパンはイヤホンを外した。俺も外し、粉々のガラスの上に放り捨てる。

「祭りも楽しもうぜ」

言いながら、コンセントから電源コードを抜く。

そして足元に散らばるガラスを靴底で脇に寄せた。

「あーあ、こいつは掃除が大変だ」

「お前がふざけるからだ」

「大人気ないんだよ、お前が。片しておいてやるから、代わりのもの買ってきてくれよ」

そう言って俺に金を渡し、大きな破片を拾い出す。俺は大人しく部屋を出た。

外は昨日と変わらず猛暑で、すぐに帽子が熱を持った。

車はないのかと聞けばよかったと後悔しながら街を歩き、道行く住人にテーブルが売っている店はないかと尋ねる。

家具屋は幸い近場にあって、適当に木製のテーブルを見繕う。

担いで帰れないほどでもなかったが、汗だくでテーブルを背負って運ぶ自分を想像して嫌になった。

結果一度解体し、袋に詰めた。

「おかえり」

部屋に戻れば骨組みになったテーブルは外に出され、中も綺麗になっていた。

「それ、組み立てんの?」

「ネジ回しくらいは用意があるだろ」

どさりと袋を下ろし、足や盤を取り出す。

「お前、やっておけよ」

「えー、俺様完成形知らねえんだけど」

「俺は疲れたから、寝る」

言い残して、すぐに寝室へ向かう。

ベッドに沈もうとした時、また自分が汗だくになっていたことに気づいた。

シャワーを浴びに戻るのも面倒で、シャツは脱ぎ、スラックスだけ穿き替えてベッドに倒れ込む。

それでも暑かったが、それよりも疲労が勝った。

まどろみながら、先ほど聞いた無線を思い出す。

レジスタンスたちは着実に計画を進めているようだった。

それなのに、ルパンは余裕の笑みだった。

一筋縄でいかない相手なのはわかったが、それでも奴の笑みは不気味だった。

俺が知らない何かがあるのだろうと考えたが、今聞いたところで教えてくれそうにもない。

奴の得体の知れなさは、やはり薄れることがない。何のために、何をするのか。

知っているのはあいつだけだった。

「次元、できたぜ」

一時間ほど経った頃、寝室のドアが開いた。

俺は呻いて返事をし、寝がえりを打った。

どうせすることはない、それならもう少し休みたかった。

「次元」

それなのに、奴は俺の方へ寄って来た。

ベッドに腰を下ろし、髪に触れてくる。

「俺も入れてよ」

「……絶対に嫌だ」

何が悲しくて添い寝などしなければならないんだ、その思いが声に乗り、低く威嚇するように答える。

「何もしないよ。俺様も疲れただけだって」

「自分の部屋で寝ろ」

「ここが俺の部屋だけど?」

嘘を吐くなと言い返すと、奴は困ったように頭を掻いた。

「お前さん、やっぱりこのアパートの中ちゃんと見てなかったんだろ?もう一つの部屋は俺の作業部屋だぜ」

何を適当なことを。

俺は苛立ちながら昨日のことを思い出した。

確かにもう一つの部屋はまだ見ていない。

だが、ならば昨日こいつはどこで寝ていたというのだろうか。

「昨日も女を送って戻ったら俺の服着て寝てんだもん。勘違いしてると思って、気ィ使ってソファーで寝たんだぜ」

「……俺の部屋はないのかよ」

「ない、っていうか、共同でいいかなってさ」

何がいいのか、俺は身勝手な奴の言葉にまた苛立ちが増してきた。

こうなったらソファーで寝直そうと起き上がると、奴が俺にスプレッドを巻きつけて、抱きつくように押し倒してきた。

「おい!やめろ!」

「照れるなよ、まだ昼間で明るいせいか?」

暴れたが、抵抗するたびに奴がのしかかってきた。

スプレッドのせいで、縫いつけられたように自由を奪われる。

「いい加減にしろッ、俺はお前のペットでも玩具でもねえって何遍も言ってるだろ!」

「そうだなあ、お前は俺のパートナーだよな」

口に唇を押しつけられて、顔を背ける。奴はしつこく追ってきて、何度も唇を重ねてきた。

「んっ、ン、くそっ……」

こいつは、本当に人の話を聞かない。

自分の世界で俺が転がると思っている。

それは前から知っていたことではあったが、俺はどうしたらやり返せるのか、わからなかった。

噛みつくことはたやすいが、こいつは抵抗されるほど燃えるように思えて、つまりは喜ばせてしまう気がして、最終的に奴の好きなようにさせた。

「もう諦めちまったのか?」

興奮した顔で俺を間近に見る。

どうしたら、一矢報いることができるのか、その顔を見ながら考える。

すぐに妙案は浮かばなかった。

灰色の瞳には、睨むように目を細めている自分が写っている。

「この前より優しくやってやる。そのまま力抜いてろよ」

スプレッドとズボンの上に、手のひらが覆い被さる。

長い指が優しげに撫でるのは悪くないが、触るなと身じろぐ。

またか、と思った。最後に会った時、いいように抱かれて、逃げ出せなかった。

たとえここで逃げ出したとしても、こいつはまたしつこく追って来るのだろう。

完全に己が手中に入るまで。

そうなると、手中に落ちたフリをするのも一つの方法だった。

このルパンという男は、盗みもそうだが成し遂げるとそれまでの情熱をすべて忘れる。

「この間の、王冠と女神像……あれはどうしたんだ」

「ああ、王冠は別の奴に売ったよ。女神像はどうしたっけなぁ、忘れた」

あっさりと言う。

予想通りの言動で、俺は安堵する。

そしてスプレッドを取り払い、半裸だった俺に愛撫を始める。俺が抵抗するから、こいつを燃え上がらせている。

だが抵抗をやめれば、その火はじきに消えるだろう。

それに気がつければ、俺にできることは一つだった。

この男がさっさと飽きるまで、耐える。

「黄金は、盗んでどうすんだ」

「多少は金に換える。後は今後の軍資金」

生暖かい唇と舌が、首や脇腹など急所ばかりに口づけるせいで、我慢しても身体が跳ねた。

よく、こんな身体にそんなことができる。

初めてではないとはいえ、本当にこいつの気が知れなかった。

「どうしたんだよ、突然仕事の話なんかしてさ。今はプライベートな時間なんだぜ?」

「仕事のこと以外、話すことがあるのかよ」

俺は探りを入れていたのをごまかすために、そう答えて突き放すように胸板を手で突っ張った。

突然抵抗をやめればこいつは感づいてしまうだろう。

この行為に飽きれば、出会った時のようにお互いが個人としての興味を持たず、踏み入らず仕事をするはずだ。

そう祈っていた。

「俺は話してやってもいいけど。自分のこと話したがらないもんな、お前は」

ベルトをつけていなかった緩い腰回りに、指が這う。

二度目とはいえ、作り物ではない拒否の感情が芽生える。

「さっさと、終わらせてくれ……」

強いデジャブを感じる台詞を吐きながら、顔を手の甲で隠した。

 

 


次元大介という男は、立ち入ってみると驚くほど表情のわかりやすい男だった。

自分自身では隠しているつもりなのだろうが、感情はわりと素直に出すし、黙っている時には瞳が雄弁に語る。

仕事となると一つの武器のように感情を出さないが、緊張感がない時は明け透けだ。

クールを気取っているようで、気取れていない。

それは今も同じことで、俺とのセックスを受け入れたようで、心の中では嫌なのが手に取るようにわかった。

嫌だが、嵐が過ぎ去るのを耐えるように我慢している。

俺に堕ちる気なんかさらさらなく、俺に負けまいとしている感情は、決して隠せてはいない。

「次元、脚もっと開いてくれよ。指が入れにくいだろ」

オイルをまとった指を擦りつけながら、腿を掴む。

少し開かせて人差し指を挿入すると、呻いて歯を食いしばるのが見えた。

何も答える気はないという態度で、俺は深く追求する気もなく、指を動かした。

前回は慣れなくて、次元はすぐにギブアップと白旗を挙げた。

その時の俺は受け入れたが、今回そのつもりはない。

完全に落としてしまうために、入念に縁を解した。雄は扱いてやっているのもあって、硬く先走りを垂らして震えていた。

「っ、う、……ぐ、……」

前よりもナカを探った時の呻きが多くなる。

痛いのかと思ったが、身体は跳ねずに身じろぐだけなのを見ると、慣れない感覚に怯えているだけらしかった。

「ん、これくらいでしょ」

俺の指を三本咥え込む穴を見ながら、コンドームを懐から取り出す。

この国で買ったもので、質はあまりよさそうではない。

タイミングを見て外してしまおうと思いながら被せ、ひくひくと熟れている穴に当てる。

「息、忘れるなよ」

脚を抱え、正常位で挿入できるように尻を上げさせる。

次元は強い抵抗こそしなかったが、変わらず手の甲で目を隠していた。

「ひッ……!」

切っ先を潜り込ませる瞬間、小さく悲鳴を上げる。

レイプじゃないつもりだったが、やはり挿入は相当嫌なようだ。

嫌なくせに抵抗はしない。何を考えているのか、気になった。

素直に感情を出さないということは、何かを我慢しているのだろう。

さっさと終われと思っているのだろうか。色気がない。

そして、まだ俺に堕ちていない。

腰を進めながら俺も息を詰める。

相変わらず狭く、ナカは熱い。具合は前よりもよかった。

「ん、いいぜ次元。そのまま……」

腹を撫で、キスをする。

浅く動かしながら慣れるのを待って、口の中の粘膜をすくい取るように舌を動かす。

俺を拒否するように強張っていた締めつけが、諦めたように少し緩んだのを見て腰を揺らした。

「前より素直だな」

抽出のたび、縁が解されていくように柔らかくなる。

次元は俺が話しかけても一切の言葉を喋らなかったが、頬の下まで赤みを帯びているのを見ると、少なからず興奮しているのだろう。

明日の夜に仕事の予定がなければ、泣くまでしてやりたかった。

だが、仕事も大切だ。

決行は明日より先になるが、それでも大事は取っておきたかった。

「次元、何で顔隠すんだよ。明るいからか?」

外はまだ昼間だ。

カーテンを閉めたとはいえ、光はいくらでも漏れてくる。

車や人の雑踏の音も聞こえた。

聞かれたくも感づかれたくもない気持ちもわかるが、声も表情もないセックスは彩に欠ける。

「手をどかせ。お前が好きな俺の顔も見られないだろ」

手の甲を掴み、少し持ち上げる。

涙をたたえて、俺を睨んでいた。

奴が好むように、感情を薄くして見つめてやれば、眉間のしわが浅くなる。

こいつはどうしてか、俺の顔が好きらしい。

かといって俺に惚れているわけではない。

単に、こいつ好みの顔なのだろう。

キスをしてやれば、雰囲気もなく目蓋を開けて見ていた。

「苦しいか?」

緩いピストンをしながら問うと、微かに首を横に振った。

初めて抱いた夜は随分強引にやったせいですぐに音を上げたが、今回は持ちそうだった。

「うあッ、は、はぁ…ん、は……」

次元の腰を抱え、少し浅く、早く腰を動かすと、噛み殺しているような喘ぎが少しずつ色を見せ始める。

前立腺の辺りがいいらしく、苦しげな顔も緩んできていた。

そろそろ生にしても、問題がなさそうだ。

考えながら一度抜き、うつ伏せにさせた。

窮屈だったゴムを抜き、ゴムの中で先走りに濡れた雄を尻に当てたが次元は何も言わなかった。

「次元、いいのけ?」

「は、何が、だよ……」

「ゴム外しちまったんだけど」

反応が欲しくてわざと擦りつけたが、次元は顔にシーツを埋めてしまった。

「もう、どうでもいい……」

投げやりな言葉に、やる気のなさを感じる。

セックスの相手にそれをされると、誰でも頭に来るものだ。

「そうかい、じゃあ好きにするぜ」

「う、あ……!」

覆い被さるように挿入して、奥まで雄を潜り込ませた。

深い挿入に次元が身じろいだが、それも無視して少し乱暴に奥に当てる。

簡単に届くおかげで、少し動くだけでも奥に当たる。

奥には子宮口に似た、吸いつくような場所がある。

わりと気持ちがいいのと、ここまで届くのに興奮して何度かそこを責めた。

そしていつギブアップを言うかと待っていたが、次元はなぜかひたすらに耐えていた。

「次元、何そんな頑なになってんだよ」

挿入を浅めにし、黒く長い、今は汗ばんで塩気のある髪を撫でながら耳にキスをする。

「辛いなら辛いって言えよ。レイプじゃないんだぜ」

囁くと、ほんの小さくうるさいと呟くのが聞こえた。

二進も三進も行かない態度を見かねて、雄を引き抜く。

見れば、次元の背中は赤くなっていた。

「終わりにしてやる。あーあ、生殺しだ」

まだ射精に至れるほど昂っていなかった自身の雄を思いながら、うつ伏せの男を表にひっくり返した。

「っ、くそ……死ね……」

目蓋を閉じていても溢れた涙の跡を見ると、少し興奮した。

虐めがいのある男だと思いながら、手を引っ張る。

「責任取ってくれよ、こんなんじゃ仕事ができない」

雄を触らせて言うと、次元は嫌々手を動かした。

そんなんじゃ足りないと、手のひらを重ねて激しく擦らせる。

「また素股してもいい?」

腿を掴んでねだったが、嫌だと明確な返事が返ってきた。

前はそれでナカ出しをされたことが、相当嫌だったらしい。

「なあ、次元。早くお前のナカで俺をイかせてくれよ」

汗を掻いている額に口づけてから耳元で囁く。勘弁してくれという言葉を、俺の雄に触れたまま漏らした。

 

 


目覚めた時には、もう夜だった。

痛む尻を気遣い起き上がると、隣は無人だった。

リビングに戻ると、組み立てたテーブルの横で煙草を吹かしている奴がいた。

「遅かったな。腹、空いたろ」

俺を見つけて立ち上がり、デリバリーのものらしい紙袋をキッチンから持ち出す。

先日のレストランで見たような豚肉の料理とパンがテーブルに広げられる。

確かに腹が空いていた俺は、無言でソファーに座った。

「スープもあるぜ。先にこっち食えよ」

プラスチックカップに入ったそれを、俺に差し出す。

受け取って一口飲むと、塩気の濃いコンソメの味がした。

「まだ怒ってんのか?」

無言だった俺に、奴が問う。

その時の感情としては、もう疲れ切って何も言えない状態で、怒りも何もなかった。

こいつの遊びに、飽きるまでつき合う気でいたが、もうすでに折れている。

仕事を蹴って逃げようかと思ったが、逃げるなら終わった後がいい。

どんな理由にせよ、仕事を投げ出すことは俺の後の評判に響く。

「だるいだけだ」

感情なく返すと、奴もそうかとだけ返事をして黙々と飯を食う。

その後には別々にシャワーを浴びて、奴はベッドで、俺はソファーに寝転んだ。

奴はベッドにくればいいと言ったが、遠慮すると返せばそれ以上言わなかった。

なぜ、俺は奴のもとに戻ってしまったのか。

窓から夜風を流し入れながら、今更後悔していた。

奴との仕事が惜しくて来たはいいものの、それどころの話じゃなくなってきた。

前に、奴が俺を離してくれた時に隠れればよかった。

濁流に呑まれてしまう前に、逃げるべきだった。

今回の仕事で、距離を置こう。手が届かないほど遠く。

そう考え、今だに痛みのある腰と尻に呻きながら眠りについた。


次の朝、俺は朝食を取りながら朝刊を読むルパンの隣にいた。

俺は、まだ鈍く痛む尻を感じながら、アレだけはそう頻繁にやられると困ると考えていた。

「ルパン、頼みがある」

コーヒーを飲み、唇を湿らせる。

奴は生返事をしながら、ページを捲った。

「仕事が終わるまで、……ヤるのはなしにしてくれ。身体に響く」

マグを見ながら伝えると、奴が俺を見るのがわかった。

「ああ、わかった」

そしてすんなりと、俺の頼みを受け入れた。

てっきりごねられると思っていた俺は、拍子抜けを食らった。

やはり、こいつもきっとそこまで本気じゃない。

そのことに安心しながら、息を吐いた。

早くこの仕事が終わってくれないものか。そう心の底から祈った。



 

祭りの当日、奴は夕方になって着替えを始めた。

ホルスターと、いつもの青いジャケットで身を包み、懐にワルサーを忍ばせていた。

「もう出発か?」

「祭り、せっかくだし見て行こうぜ。いい尻の踊り子がわんさか踊ってて、見ごたえあるぜえ」

下品に笑い、スーツの襟を整える。

俺は相変わらず女好きな奴を見て、ほっとした。

俺以外に関心が向いてくれなければ、俺の休まる暇がない。

「連れ込むなら他所にしろよ」

「今夜は俺たちの予定がある。女は連れて行かねえよ」

だから見るだけだ。そう言って、この部屋の鍵を持った。

街へ繰り出すと夕方だというのに明かりがそこら中に満ちて、昼間のように明るかった。

大通りは封鎖されて、大量のダンサーたちが行進を続ける。

「どこに向かってるんだ、みな」

「教会さ。同じルートを通って、教会に辿り着いて祈りが終わるとまたスタート地点に戻って踊り歩く。時間になれば、一団ずつ抜けて行って、最後の踊り子のステップが終わると祭りも終わる」

人混みの通りを抜け、奴が予約していたというレストランへ入った。

二階のテラスから踊りが見られるということで、中にはぎっちりと人が詰まっていた。

テラスから通りを見下ろすと、黄金と赤い生地で作った衣装の踊り子が揃いのダンスを踊り、少しずつ教会へ進んで行く。

フリルのたなびきを見ていると、やはりスペイン風の情緒を感じた。

「確かこの国は、スペインに侵略された過去があるとか言っていたな」

「そうそう、マゼランたちがやって来て、この国を三百年近く植民地にしたのさ。この祭りも、踊り子の衣装もその流れを汲んでいるらしいぜ」

「それをこんなに陽気にやるのか。随分呑気……穏やかな国民性なんだな」

俺は日本語のわかる住民も多いことを思い出し、念のため言い直した。

「今生きてる国民のほとんどは、生まれながらにそれに囲まれて育ってきたんだ。過去の出来事を恨んだって仕方ないとわかっているのさ」

「……珍しい国だ」

俺は帽子を傾け、過去に渡り歩いた国を思い出す。

他国に自国を踏みにじられ、抵抗し、そして大方は負ける。その憎しみは何度も蘇り、戦争や内乱は止まらない。

世界にはそんな国ばかりだった。アフリカや赤道付近の辺りは特に。

赤道に近く、民はみな穏やかなはずなのに、荒れてばかりいた。

こんな国があるなど、知らなかった。

「日本だって占領をしたが、その後の経済支援で今や親日家が多い。この国は新しい血が巡ってる」

ワインを飲みながら、奴は淡々と言った。

「それでも血栓はできるってか」

言いながら、俺はこの国にのさばっているという独裁者を思い出す。

レストランのテレビでは昼間の式典の様子が映し出され、独裁者の男が偉そうにのけ反って演説をしていた。

この国の出身者らしく、小麦色で、西洋人ほどではないが、掘りが深い。

五十代のようで、顔のあちこちに深いしわが見えていた。

「人間生きてる限りはあることさ。まあ、俺たちにはないけどな」

珍しく情緒深く奴が話すので、俺は目の前の顔を見た。

感情の薄い、アンニュイな表情は、変わらず眩しく見えた。

やはりこいつは、この顔がいい。

笑った顔や怒った顔より、この顔を見ていたかった。

「その口ぶりじゃ、俺たちが人間じゃないみたいだぜ」

「ふふ、言い直すよ。凡人が生きてる限りはあることさ」

ワインボトルの底が尽き、ルパンはウエイターを呼んだ。

濃い目元の女の手を握り、君にもっと酔えるワインをと適当なことを言う。

飽きずによくやると思いながら、俺もグラスの中身を飲み干した。

酔うほど飲んだつもりはなかったが、祭りの輝きを目に宿すルパンの瞳に、見惚れていた。

あれだけ逃げ出そうと考えても、こいつの魅力は深い。

共にいれば、様々な国の、あらゆる文化を見る。

俺に審美眼などなかったが、今まで知らなかったものを見るのは、よいものだった。

金に赤い布地の花が、往来でしぼんでは花開くのも、いいものだと思えた。

前の仕事で奴が教えてくれた、アールデコの天井や壮大な教会。

あれは俺には響かなかったが、この祭りは別だった。静寂で荘厳なものより、雑多な街の歓声と囃子。落ち着いた芸術より、華やかで豪勢な方が見応えがあると感じる。

仕事も同じで、何の起伏も持たない殺し屋や用心棒より、嵐を呼ぶようなこの男の仕事の方が俺好みだ。これを失うか、俺自身のために逃げ出すか、俺は惑い始めていた。

先ほどまではあれだけ逃げ出したいと考えていたのに。

柄にもなく揺れ動く自分が嫌になってくる。

ワインが新しく注がれたのをまた飲み干し、どうしたものかと街を見下ろした。

「そろそろ行くか。お前さんペース早いし」

酔っ払い連れて行くには不便なところなんだとつけ足して、テーブルに金を置く。

俺は無言で、奴の後に続いた。気がつけば、青い背中とうなじの辺りを見ていた。


夜になって、俺とルパンは宝物庫の近くにある林の中に移動していた。

幹の太い木に登り、双眼鏡を使って周囲を見渡す。レジスタンスたちはまだ動きを見せず、見えるのは祭りの喧騒ばかりだった。

「おい、本当にかっさらわれるんじゃねえか」

宝物庫の周囲を見て尋ねる。

宝物庫の周りは、外側から高い壁、地雷が埋めてあるのであろう平地、その先には鉄線と鉄格子の壁、ついでに宝物庫自体に監視カメラが四方を向いてつけられていた。

宝物庫の周囲には、スナイパーが潜めそうな木々も生えている。

確かに強固な防衛陣だが、グレネードをこれでもかと投げ込めば突破できそうな気がした。

「そんなに心配なら賭けるか?俺様は宝物庫の勝利に百ドルってところだな」

「お前のその自信の根拠は何なんだ。いい加減教えろ」

相変わらず余裕綽々と言う男を小突くと、奴はまた見ていればじきにわかると続けた。

日付が変わる頃、宝物庫の北に動きが見えた。

何かが投げられ、花火のように光り出す。

俺たちとは距離があったが、それでも目を焼くような光に手で透かしを作る。

閃光弾だ、これでスナイパーの目は潰されただろう。

レジスタンスらしき幾人もの男たちが四方から、やはりグレネードを投げ入れた。

地雷が誘爆し、幾度も爆発を繰り返す。

その音に気づいた祭りの人間たちが、悲鳴を上げて散り散りに逃げて行くのも見えた。

粉塵が収まる頃、男たちは壁に穴を開け、鉄格子をチェンソーやバーナーで破壊し始め、宝物庫までは後十メートルに迫っていた。

「ルパン」

「焦んなって。奴らは成功しない、かもしれない」

歯を見せて笑い、俺に双眼鏡を覗くよう促す。

先取されたら文句を言ってやると思いながらレンズを覗くと、先陣を切っていた男が躍り出た。

そして宝物庫に手を触れた瞬間、頭に赤く花びらが散った。

「スナイパーか」

「あの閃光弾、やっぱり効かねえみたいだな」

数人の男たちが続いたが、即座に頭を撃たれてばたばたと倒れてゆく。

獲物を目の前に味方の死体を築かれたレジスタンスたちは、慄き後退する。

だが時すでに遅く、この国の警察が取り囲んでいた。

そして容赦なくAKを撃ち、根絶やしにしてしまった。

ほんの三十分の出来事に、俺は唖然とする。

戦場とは規模が違うのもあるが、殲滅があっけなさ過ぎた。

「明日の朝には鉄の壁も地雷も埋め直される。宝物庫近くの死体は数日放置だな、見せしめにいつもそうすんだ」

ルパンは淡々と語った。

「こんなの、どうやって突破する気だ」

無理だ、と俺は諫めようとルパンを見た。

その瞬間に、言葉を失う。

奴は、興奮して笑っていた。口元こそ一文字のままだったが、目が楽しみを前にするように細まっていた。

「大丈夫さ。俺たちならできる」

そう言って俺の肩を掴んで口元も笑わせた時、俺はこの男の狂いを見た。

困難を目の当たりにするほど、それに向かいたくなる。

なんて危ない癖だ。正気じゃない。

俺はこの男の何に、片足を突っ込んだのか、ようやく気づいた。

「ほら、行くぜ」

奴が先に木から下りようとした時、俺に呼びかけた。

俺は、この呼びかけに答えるべきかどうか、怖くなっていた。

「どうした、足が竦むか?」

「バカ言え、少し痺れただけだ」

「ならいい」

奴が先に下り、俺がその後に続く。

奴が俺を見上げて待っているのを見た時、ここに堕ちるしかないのだろうかと怖くなった。


昨夜のレジスタンスの奇襲は、さっそくラジオでも流された。

死者は二十五。

そして宝物庫の持ち主である独裁者の陣営は、宝物庫付近はめちゃくちゃにやられたものの、かすり傷一つない。

俺には関係ないこととはいえ、散っていったレジスタンスたちを多少不憫に思った。

「どうすんだよ、一体」

いつものソファーで俺が尋ねると、ルパンは何やら機械をいじっていた。

小型の無線機で、ネジを締めたり、部品を交換したりを繰り返している。

「あれじゃ上手く盗み出せても、逃げる時にハチの巣だぜ」

「そりゃあそうさ、あれはネズミ捕りみたいなもんだからな。まともに突っ込めば死ぬ」

そして完成だと呟きながら、その無線機を懐に入れる。

「だから俺たちは正攻法ではいかない。どういくと思う?」

「トンネルを掘るか?」

「ダメだね、この国は地下水が多過ぎる。土砂ならごまかせるが、水が噴き出したら終わりだ」

「なら空からか」

「スナイパーや地上のAKが狙ってるのにか?」

「おい、意地悪すんな」

回答を弄ばれて抗議すると、ルパンは意地悪く、くつくつと笑っていた。

「んふ、悪い。教えてやるよ、当日にな」

そしてまだ、俺に詳細を語らなかった。

仲間にも詳細を言わないこいつは、警戒心が高く、どこから情報が漏れるかわからないのを知っているかららしい。

欺くなら、まず味方から。

実際それは堅実で、俺はそれ以上追求しなかった。

「そうだ次元、今日はビーチの方へ行こうぜ。決行は少し伸ばす。あまり変わらないかも知れないが、今乗り込むのは利口じゃない」

奴がそう言って水着のトランクスを俺に投げる。

泳ぐわけないだろうと、緑と黄色のストライプを投げ返した。

「行きたきゃお前一人で行けよ」

「そう言わずにさ。暑い中で飲むビールはうまいだろ?」

奴は俺を連れて行く気しかないらしく、自分の着替えも用意し始めた。

この暑いのに外に出るなどバカらしくなったが、部屋にいてもどうせやることは何もない。

俺は舌打ちをして、車はどこだと声をかけた。車は少し離れた場所に置いてあった。

高級車はすぐ車上荒らしに遭うらしく、見た目は完全なボロ車だった。

日本車の古い型で、だが中身は最新式だとルパンは言っていた。

「気をつけろよ。ここらのドライバーはみな荒っぽいんだ」

言いながら、当たり前のように助手席へ座る。

運転自体は嫌ではなかったが、王様のような態度は気に入らない。

「道は」

「簡単だよ、この通りをひたすらまっすぐ行けばいい」

言われて道に出る。するとすぐに横から車が飛び出す。

一時停止もクソもないという横暴さで、初っ端から苛つく。

その上混雑していて、奴曰く三キロ程度の道のりに、たっぷり三十分もかかった。

「歩いた方がよっぽど早かったんじゃねえか」

ストレスフルになりながら駐車場に車を停める。

奴は多少は知っておいた方が逃走の時に役立つだろうと返した。

単に俺を足に使っただけだろうと嫌味を返し、砂地に下りる。

太陽はさんさんとしていて、俺はすぐにレンタルのパラソルを買いに行った。

ついでにシートとビール缶を買い込み、観光客のひしめく間を縫って自分のスペースを作った。ルパンはさっそくナンパをしていた。

小麦色の肌が多い中で、白い肌の男はモテるらしく、すぐに二人連れの女を両腕に抱えて奴は海へ向かって行く。

ビーチは美しかった。

砂は白く、水は透明度が高く、底がずっと先まで透けて見えていた。

その上浅瀬が広いらしく、かなり先まで人が立っていた。

ルパンと女たちは腰元まで浸かって、呑気にボールを投げ合っている。

こうして見ると、ルパンという男は明るく、わかりやすい性格に見えた。

女が好きで、そして明るく晴れた空の下に似合う。

脱ぐと、痩せているようで最低限の筋肉がついていて、男らしく体毛もまとっている。

その上、口が上手い。

時折女たちが大声で笑い、遊びながら会話をしているようだった。

昨夜の様子とはまるで違う。

昨夜は危険を欲して嬉々として飛び込もうとする異常な男だった。

だが、目の前の気の抜けた光景を見ていると、それも嘘のようだった。

どちらが本当なのか、俺は混乱し始める。

俺は少し汗を掻いたところで、ビール缶を開けた。

サンミゲルという、現地では広く飲まれているものらしい。

苦味は薄めで、あっさりしていて飲みやすい。

よく冷えていたのもあって、すぐに一本を飲み干した。

空き缶を砂に埋めて、二本目も一口頬張った。

変な気持ちだと、そこで思う。

前の俺なら、ビーチでのんびり酒を飲むことなどなかっただろう。

殺し屋という稼業もあって、人目につく行為は好んでしなかった。

だが、してみれば案外気持ちがいい。

ここが観光地で、俺を狙う輩がいないという安心感もあった。

「次元、お前も少し入れよ。気持ちいいぜ」

女と遊んでいたルパンがいつの間にか戻って来ていた。

俺は手を振り、シートに寝転がって帽子を顔に被せる。放っておいてくれ、というサインだった。

「後で女を分けろって言っても聞かねえからな」

「お前のおこぼれなんかもらわなくても、自分で見つける」

それだけ返すと、いつの間にかまたルパンはいなくなった。

背中に当たるシート越しの砂が熱かったが、それがサウナのようで心地よかった。

俺はひたすら寝て、たまに起きて温くなったビールを飲むのを繰り返していた。

パラソルがあっても、帽子があっても、遮ることのできなかった光を感じながら、夢見心地で息をする。

ルパンの声は耳を澄ませても喧騒のせいか聞こえなかった。

ルパン、あの男の顔が浮かぶ。

童顔で、伸ばしたもみあげと、つるりとした顎。

ひょろりとした背格好。青いジャケット。

誰よりも軟派で、自由で、ワガママで、頭の切れる男。

そして趣味が悪い。

欲しいとさえ感じれば、俺のような男でさえ手を出す。

そして、誰にも止められない狂気がある。

俺はどうしてあの男と手を組んでしまったのか。

最初は仕事仲間としか思っていなかった。

おそらく年が近いのもあって、余計な気を使わなくていいところも、気に入っていたのだろう。

仕事はつまらなくない。

むしろ、手放しがたいほどの彩がある。

それだけのはずだったのに、気がつけば俺は奴に捕まっていた。

これまで、変な相手が現れれば適当に脅して振り払ってきたが、奴はただの奇人変人じゃない。

恐ろしいほど、頭が回る。

さらに危険を好物としているだなんて、気が狂っているとしかいいようがなかった。

そんな人物から逃げることは、たやすいことではない。故に恐ろしい。

それでも、奴を嫌いになったかといえば、そうではない。

奴の呑気な仮面の下にある狂気は、仕事の時にだけ現れる。

その狂気の中で、奴の理性が武器として俺の銃の腕を求めていることは、光栄だとさえ思えた。

俺にも、狂っている部分はある。

危険だとわかっていて、そこに飛び込んでしまう癖が。

銃を撃つという、自分が生きている瞬間を得るのは、危険という一時の中だけにある。

それを求めてしまう癖が。

考えれば、意外にも奴と俺の求めるものは一致している。

困るのは、そこに俺が暴かれるという要らない要素があることだけだ。

思考を整理しながら、俺は逃げるべきか、また迷い始めた。

「次元」

ふと、ルパンの声が聞こえた。帽子を外すと、奴が隣に座っていた。

「女はどうした」

「彼女たち、これから学校なんだってよ」

穏やかに言い、俺が飲みかけにしていた温いビールを口にする。

「デートは夜か?」

「また明日ここで会えたらしてくれるってよ」

「体よくフラれてんじゃねえか」

俺は笑いながら返し、身体を起こしてビールを取り戻して喉に通す。

「いいんだよ、今夜は別の相手がいるから」

言いながら、俺の帽子を取り上げた。

やめろとすぐに帽子を取り戻し、深く被り直した。

「俺はつき合わねえぞ」

「んふふ、俺様一言もお前に慰めてもらおうだなんて言ってないけど」

「言われる前に釘を刺しただけだ」

立ち上がり、俺はジャケットを肩にかけた。

「帰るのか?」

「悪いかよ」

ルパンは水着にパーカーのまま俺の後をついて来た。

そしてまた当たり前のように助手席に乗る。

俺は盛大にため息を吐いてから、運転席に乗り込んだ。

部屋に帰り、シャワーを浴びた後には、ナイトマーケットに連れられて行った。

テントのようなカラフルな屋根の露店が並び、食い物だけでなく雑貨や服も売っている。

観光客と見て店の主たちが声をかけてきたが、欲しいものはなく流して進んでいた。

居酒屋のような屋外の飲食スペースに辿り着くと、そこで酒とツマミを注文した。

「いい国だな」

俺がナッツを肴に、昼間に飲んだものと同じビールを流し込んでいる時にルパンが呟いた。

「どこがだよ。スリばっかりじゃねえか」

先ほど歩いていた時、一体何人に体当たりされたことか。

財布は懐に入れず、現金を帽子のスベリに少しだけ入れていた。

ルパンはスられるたびにやり返していて、逆に楽しんでいるようだった。

「それはそうだけどさ。俺様が言ってんのは空気よ。たくましく生きてる奴らばっかりだ」

ビールを煽り、目の前を流れる人の川を見ている。

「お前はそう思わないか?」

「他人のことなんか興味ねえよ」

素直に言い、俺は群衆から目を逸らした。

自分が生きるので精いっぱいで、他人のことなど気にかけたこともない。

おそらくルパンは、他人に目を向けるだけの余裕を持ち合わせている。

それだけはわかった。

「俺様は大あり。面白い奴は面白い」

「あの女のことか」

女を目線で追いかけながら言う奴に尋ねると、まあねと流すような返事が返ってきた。

「お前にだって興味はあるぜ」

目線を俺に戻し、見つめてくる。

灰色の目は開かれて、まばたきも少ない。

感情の薄い、俺の好きな顔をわざとしていた。

よく飽きないものだと、表情で口説こうとしてくる男にも、それを味わう俺にも思った。

「好奇心は猫をも殺すぜ」

「好奇心がなきゃ、生きてる意味がない」

長く見つめ合うのはこそばゆく、俺はすぐに視線を雑踏に戻した。

「この仕事が終わったら、今度こそ一緒に暮らそうぜ。お前好みの部屋を見つけてやるから」

少し高い声が、軽い口調で言った。

雑踏の喧騒は響くほどだというのに、奴の声量は大きくないというのに、はっきりと聞こえてきてしまう。

「そんなことして、どうすんだよ。俺を飼う気か」

立ち入らないでくれ、俺をお前の好きにしようとしないでくれ。

反抗心の言葉は胸の中で出て行こうか迷って、腹の底に戻っていく。

「んなわけないだろ。俺と一緒にいて欲しいだけさ」

「だから、そんなことをして先に何がある。お前も、俺も」

一時の感情で傍にいることはたやすい。

たやすい分、離れる時が面倒だ。

それに、一緒に暮らして身体や、俺のもろもろを晒すなど、俺には何のメリットもない。

「そんなに言うなら結婚してやろうか?」

「……俺は真面目に話してるんだ」

じり、と靴を地面に擦らせる。

今にもテーブルを蹴り上げそうな俺を見てルパンは肩を落とし、冗談のわからねえ奴だと呟いた。

「愛してるからだけじゃ理由にならないか?」

「そんな嘘臭い言葉なんざ、なんの理由にもならねえよ」

初めて抱かれた夜、ルパンの言葉は不覚にも俺に響いた。

自分の秘密を知らせてもいい。

それは裏に生きる者同士でいえば、何よりも思いの強さを現す言葉だった。

愛しているという言葉にも、殺されてもいいという言葉にもなる。

それに答えるのも、また同じ意味合いだ。

俺には、まだそこまで腹をくくれるものはない。

それどころか、その言葉から逃げ出したい気持ちだってあった。

「あ、女をやめろなんて言わないでくれよ。愛してるのは本当だけっど、女は別腹だぜ」

「言ってねえよ」

奴が女をどれだけ愛そうが、俺の知ったことではない。

むしろ俺だけに来られてはたまったものではない。

「あれ、言わねえの。お前って嫉妬深そうなのに」

「お前、俺がお前の言葉に何か一つでも返したか?」

愛してるなど俺は一言も言っていない、そういう気持ちがあるかと問われれば、ない。

あるのは信頼と、恐怖だけだ。

「まだだけど、逃げ出さないってことは俺のこと好きなんでしょ?」

呑気に言って俺に手を伸ばす。

二の腕に触れられたが、跳ね退けるどころか反応さえ返さない。

奴に餌を与える気はなかった。

「バカ野郎。今にだって逃げ出そうとしてんだ」

叶うことなら、そうしたい。

そうしないのは、今はあくまで仕事のため、俺のためだった。

「逃げたって無駄だぜ。俺様は世界一かくれんぼが得意なんだ。すぐにだってお前を見つけてやる」

「脅してんのかよ」

「そうだぜ」

さらりと言う。

そして二の腕を掴む手にも、力が込められる。悪人め。

俺は自分だって悪人のくせに、ルパンをそう評したくなる。

「藻掻くから苦しいのさ。力を抜いて俺に全部任せちまえよ。意外と心地いいぜ」

二の腕から手の先まで手のひらが滑り、俺の手を持つ。

そして手首の静脈の辺りにキスをした。俺は手を押し上げるように奴の顎を殴った。

「いってえ!何すんだよ!」

「ハエが止まってたから払ったんだ」

舌を噛んだらしく、口を押さえて痛がっている奴をいい気味だと笑う。

表面的な口説きやキス。そんなもの、俺に効きはしない。

「悪いが、泳ぎは得意な方だぜ」

真にやり返すことこそ難しいかもしれないが、お前になんかに溺れることはない。

そういう意味で呟いた。

「ぬはは、しぶといな、本当によ」

ルパンはあっけからんと笑って、ビールを飲み干した。

しぶといなど、俺よりお前が掲げるべき言葉だった。

何度拒否をしても、諦めるなんて気は毛頭見せない。

「今回の仕事はかなりの金になる。しばらく休めるし、いい部屋も持てる。心ゆくまで考えてくれていいぜ」

おまけに俺を追い詰めるようなことを言う。

俺は舌打ちをして、ナッツを口に入れた。


 

 

決行の当日、俺は宝物庫にほど近い路地の車内で火をともしていない煙草を蒸していた。

ルパンは何でも、切り札を取りに行くと言っていた。

それから、奴だけが宝物庫の正規の入り口、扉の前に向かう予定だった。

路端に隠した小型車の中で、ラジオをつける。

チャンネルを合わせれば、宝物庫を巡回する警備隊を管理する警察署の無線を盗聴したものが流れてきた。

この国の英語の鈍りは濃いが、それでも意味は通じる。

宝物庫付近に異常なし。レジスタンスたちの動向は見えないが、警戒を緩めるな。

その声の通り、宝物庫の周囲には六人の警備隊が固まって巡回していた。

先日の件で、警備は最大でないにしても、一層強さを増している。

俺にはとても突破できるようには見えなかった。

不安になり、煙草を外し奴に無線をかける。

ほどなくして、ルパンの声が聞こえた。

『ラブコールなんて珍しいな。寂しかったか?』

ふざけたことを言うので、そんなわけがないと噛みつく。

「お前、これから一体どうすんだ。いい加減教えろ、我慢の限界だ」

こいつの秘密主義な作戦はいつものこととはいえ、ある程度詳細を知らなければ焦りが出そうだった。

というより、もう出ている。

『はいはい、一度しか言わないから、聞き漏らすなよ』

『この間のレジスタンスたちのおかげでわかったことが一つある。それは、あの陣営が鉄壁だってことだ。いくら進んだところで、スナイパーの目が光っている。

しかも、そのスナイパーは人間じゃない。あれは人間の頭を標的にするよう作られた機械仕掛けなんだ。かなり精密だが、まだそこまで広範囲に撃てない。

だから地雷や鉄格子でふるいにかけて、少なくなったところを根絶やしにする。

万が一宝物庫に辿り着かれても、手前の罠に手間取っている間に武装した警察が周囲を囲む。抜かりはない』

その言いようでは、まるで宝物庫に盗みに入るのは不可能と言っていた。

俺はまさか黄金と心中する気ではないかと、声の続きを待つ。

『でもよ、そこで気になるだろう? ここまで徹底的に警備して、いざ金に換える時、どうやって取り出すか。お前が持ち主だったらどうする?』

問われて、少し考える。

もし俺があれの主なら、まず初めに警戒をすべて解除させるだろう。

「武装解除に決まってる。スナイパーの電源を切る。地雷なんかも片させるだろうな。

その後ゆっくり運ぶさ」

俺が答えると、ルパンの高めの声が少し低まって笑った。

『それじゃあ評価はBプラスだ、次元。Sの答えを教えてやるぜ』

無線が一方的に切られ、俺は外に出る。

時計を見れば、約束の場所に行く時間に近くなっていた。

指定されたのは、壁の正面扉の目の前にある潰れた肉屋だった。

三階まであり、構造を知るために屋上へ登った。

丁度宝物庫も、それを守る壁の向こう側もどちらも見渡せる位置だった。

マグナムの射程内とはいえ、上から撃つには不向きに見えて、俺は一階に下りた。

状況を見て上に戻ればいい。そう考えていた。


予定の時間になると、無線から砂嵐が聞こえる。

『準備は?』

「もう待ちくたびれてるぜ」

『さすがだな、後ろは任せたぜ』

軽くジョークを交えて答えてすぐ、ルパンはそのまま無線を切った。

窓枠の抜けた穴を横に、外を伺う。

警備隊が壁の扉に差しかかる頃、先頭の奴が立ち止まり、銃を構えた。

その先には、突然現れた男がいる。

ごろごろと、何かを運んでいるようだった。

目を凝らすと、それは錆びたドラム缶だ。

男はドラム缶を少し傾けて回すように運び、扉の前で歩みを止めた。

貴様、ここで何をしている。先頭の男は隊長らしく、背中にAK、半袖の先にグロッグ17を構えている。

「お届けもんだよ。誰かサインくれっかな」

その声は、確かにルパンだった。あのバカ、何をしていると俺は即座にマグナムを腰から引き抜いた。

不審者め、立ち去らんと撃つぞ。

隊長は警戒し、グロッグの安全装置を外す。

「いい贈り物だと俺は思うんだけどな」

ルパンは、壁の前に大きなドラム缶を携えて立った。

「この中身が何か知ってるか?」

もったいぶった後にドラム缶を蹴る。

すると、下着一枚で緊縛された男が転がった。

その顔には、見覚えがあった。閣下!と警備隊の何人かが叫ぶ。

猿轡をされた男は必死に呻いたが、何を言っているかはわからなかった。

ルパンはおもむろに男の首根っこを掴み、またドラム缶に男を放り入れた。

「俺様からのプレゼント。閣下は悪漢に襲われ、不慮の事故で死亡。金塊も盗まれてしまいました」

口上を言い、ドラム缶を思い切り叩く。

隊長の後ろで、警備隊が何やらコソコソと話を始める。

その内容は聞き取れないが、何やら相談のように見えた。

隊長の男は唖然として、お前は誰だと正体不明の男に尋ねる。

「俺様か?ルパン三世さ。普段は泥棒だが、今回は取引に来た」

「どうだい、俺様が欲しいのはここの金塊の半分だ。厄介な閣下がいなくなって金を山分けするのと、閣下のために死ぬまでこき使われるのと、どっちがお望みだ」

警備隊はざわざわと会話を大きくする。

隊長は一人黙っていたが、そのうち背後の部下たちが耳打ちをし始める。

「決められねえのか?なら俺様が代わりに決めてやる」

そう言って、指を鳴らす。

扉は自動ドアのように開いた。

そしてすぐに、ドラム缶を地雷原に蹴り出す。

警備隊は、誰一人動かなかった。

まもなく大きな爆発が起き、ドラム缶からは黒い人のようなものがこぼれ落ちた。

まさかここまでやるとは。

殺しを好まない奴にしては、あまりにも乱暴だ。

やはり気が狂っているのか、と思わずにはいられない。

しばらくして、警備隊の一人が、地雷原の中に手榴弾を投げ込んだ。

それに続いて、残りの隊員たちもまるで見送りの紙テープのように爆弾を投げ込む。

俺はもう、自分とルパンが狙われることはないと考え、肉屋を出た。

そして花火のように地から光の爆発が起き、そのたびに照らされる男の近くに寄って行った。

「随分酷ぇことしやがるな」

「何が?」

奴は煙草に火をつけ、足元にあったマンホールを踏んだ。

「ドラム缶の閣下だよ」

「ああ、あいつ生きてるよ。

あのドラム缶は二重構造になってて、外に一回り大きいのを被せてただけさ。

閣下はこのマンホールに落として、ダミーと外側だけ地雷原に投げた」

やけにあっさりと言う。

爆音で俺たちほどの距離でないと聞き取れない声量とわかってのことらしい。

「そのうち自力で穴を進んで別の場所に出て来ると思うぜ」

息を吐くと、白い空気が爆風に揺らぎ流される。

奴が言ったことが本当かどうか、俺にはわからなかった。

適当な嘘かもしれない。

だが、殺しをしたところで俺は奴を糾弾などしないし、できもしない。

それを考えれば、おそらく本当なのだろう。

「結局、俺の出番がなかったじゃねえか」

話題を逸らすため、俺も懐からペルメルを取り出した。

地雷原は広範囲だ。潰すにはまだ少し時間がかかる。

「そんなことねえよ。あそこで警備隊が俺に銃を向けないとも限らなかった。その時にお前の早撃ちがなかったら、俺がドラム缶に詰められて地雷原に放り出されてたろうぜ」

俺一人じゃやらない作戦だとつけ加えて、吸いきった煙草を地面に落とし靴でもみ消す。

「終わったし、種明かししてやるよ。俺が考えていたのはプランA。閣下を囮に警備隊に蜂起を起こさせる。蜂起した警備隊に掃除をさせて、上がりだけもらう。奴は内部でも相当恨まれててよ、暗殺計画が練られていたくらいなんだ」

奴の言うことは頷けた。

そうでもなければ、警備隊があそこまであっさり閣下を見捨てるわけがない。

「プランAで上手くいったが、もしプランBだったら、難易度は遥かに高かったろうな。プランBは、蜂起が失敗した場合だ。奴らは閣下を取り戻すために俺に銃を向ける。それをお前が阻止する。場は混乱する。その間に、俺が地雷原を駆け抜ける。地雷を埋めた場所はこの間の埋め直しで把握できたから、通り抜けるのは簡単だ。鉄線の壁も爆薬で倒して、次にスナイパーだ。あいつらの電源は時間差で落とすようにしておいた。問題は金の運び出しだ。お前は警備隊を相手しているし、何度も往復して車に積み込むわけにもいかない」

「入ったはいいが、出せないというわけか」

俺は途中まで吸った煙草の灰を落とした。

「だから、地下水の多いこの国の地質を利用して、真下の水道管を爆破する予定だった。後はどんぶらこと流れてくる金を回収して、クルーザーで逃げる」

「なんだ、プランBの方がよっぽど楽しそうだ」

ふざけて返すと、ルパンはそうだなと笑った。

地雷原の爆発はまだ続いていて、興味を抑えきれなくなった住人たちが窓から顔を出し始める。

「ちなみに、閣下を人質に金を出させてもよかったんじゃねえのか」

そうすれば、すんなりと盗み出せたはずだ。

ルパンは俺の言葉に眉を少し寄せる。

「バカだな、お前。その後の警備隊の末路知ってるか?命助けたって悪漢に金を差し出したって罪で銃殺刑。よくても一生監獄だ」

そんなに酷い独裁者だったのかと、俺は呆れるように煙を噴き出す。

また爆風に白煙がなびいた。

「逆に閣下一人なら、犠牲はそれだけで済む。奴はバカじゃないからな、裸一貫で戻ったところで自分の命の保証はないとわかってるはずだ。亡命用の船は、一応準備してやった。後は奴さん次第さ」

優しいだろ?とまた煙草に火をつける。

確かに今回の仕事で死人は出ていないが、やっていることは悪そのものだ。

独裁者からこの国を開放したのではなく、独裁者を利用して宝を奪った。

「とはいっても、プランAは成功率が限りなく低かった。本筋はBのつもりだったからな。成功しちゃって俺様もびっくり。ちょっと張り合いなかったなあ」

ジタンのクセのある香りが俺の方にも漂ってきて、つられるように俺も再び懐のぺルメルを取り出した。

「みな、それほど血栓が痛かったんだろう」

警備隊が地雷原をグレネードで潰すのを見ながら、そう呟く。

この国の人間はみな明るく愉快に見えたが、目の前のそれは確かに腐ってしまった部分だった。

どんなところにも天国などありはしないものだと、しみじみと感じてしまった。

「そうだな。レジスタンスたちは不憫だったが、報われただろうぜ」

ルパンは言いながら、宝物庫を見つめる。

まさか、こいつがレジスタンスたちに奇襲をけしかけてはいまいか。

ふと不安になった。

不要な人殺しはしないとは知っていたが、それでも、頭は切れ過ぎ、狂いのある男のために考えてしまう。

「おい、そんな目で見るなよ。俺が目をつける前からたびたび宝物庫襲撃はあったんだぜ」

「……それならいい」

そうこう話すうちに、警備隊が地雷原を潰し終え、鉄線を崩す。

スナイパーの電源を切ったらしく、一人がテストでヘルメットを放り投げる。

反応がないのを確認し、先に進もうとした。

その瞬間、宝物庫から地響きが聞こえた。

根元から水が溢れ、警備隊が退く。

じきに宝物庫の方が耐えきれなくなり、崩壊と共に巨大な水柱が立つ。

金が吹き上げられて、幾本かが凶器のように降ってきた。

「ああ、傘を忘れちまったな。まあいいか」

「おい、なぜ……!」

「突然現れた俺たちに、奴らが素直に金を分けるわけがないだろ。ただでさえ金の前じゃ人間の目は眩む」

流れ着いたインゴットを拾い上げ、ルパンは車の後部座席の窓へ放る。

すると窓から顔を覗かせていた住民が、わらわらと出てきた。

おこぼれに預かろうという気らしい。

「それによ、追手もないなんて寂しいじゃねえか。見送りは盛大にしてもらおうぜ」

水で火の消えた煙草を咥えたまま、また一つ流れ着いた金を車の後ろに放る。

「さぁて、とっとと積み込んでおさらばするとしますか」

降りしきる雨の中、奴は笑った。

丸っこい目を細め、口の端を思い切り上げて。

今まで聞いた悪行をするとは思えないほど邪気がなく、そこで奴の欲が満たされたことを悟る。

奴は宝、もとい危険を欲しがるが、何よりもそれに挑戦する過程を楽しんでいる。

そう思わせる笑みだった。

「……どれくらい積めばいい」

「車のタイヤがパンクするギリギリまでさ。腰をやるなよ」

奴が全身水浸しになりながら、実に楽しげに笑い、車の後部座席へ水に濡れた金を次々に放り込む。

俺もそれに続いて、合計で百本近い延べ棒を車の後ろに乗せた。

奴らが来るとはしゃぐようにルパンが言って、俺もそれにつられて笑みがこぼれた。

そして港に向かうため重い車のアクセルを踏み込み、その場から逃げ出した。

無論追手はあり、奴らがジープで迫って来るのを、助手席から後ろ向きに身を乗り出し一台ずつ仕留めた。

「なぁんだよ、ほんの一部しかもらってねえのに。ケチな奴らだな」

ルパンは上機嫌に笑い、金の延べ棒を一つ、運転席の窓から高く放り投げる。

落下した金はジープのフロントガラスに突き刺さり、数台を巻き込んで停止した。

「もったいねえことすんなよ」

弾をリロードしながら、まだ俺の手は尽きていないことを伝える。

「お返ししてやったんだ、感謝されるべきじゃねえの?」

そう言って無邪気な笑みで俺を見る。

俺は前を向けと声をかけ、新たな追手に照準を合わせる。

俺はこいつに、初めて畏怖を感じた気がした。

恐ろしく頭が回るのはわかっていたが、今回の仕事はそこに狂気さえ見た。

普通ならば、気圧される。

だが、俺はその狂気も、この笑みも嫌いじゃなかった。

そして、この男の欲望に当てられて、逃げることも耐えることも不可能だとようやく気がついた。

今までの自分の足掻きが、まるで無駄なものだったとわかれば、救われた。

俺はもう、堕ちるしかないのだろう。

悔しさもなく、そう思ってしまった。

「過剰なお返しは嫌味ってもんだぜ」

それを感じ取られないために、弾道を読むことに意識を集中させた。


 

 

クルーザーに乗り込み、合計で百三本の延べ棒を俺たちは船尾の底に敷き詰めた。

その上に木の板でふたをして、ルパンが操縦し、暗い海を走り出した。

月は出ていなかったが、星明かりのおかげで海は見通しが利き、街の光も見えなくなるほど遠く沖合に出ると、ルパンは船を停めた。

「追手か?」

「いんや。ここから先は別の国の海域だ。夜中に移動してると密漁と勘違いされちまう。捕まっちまったら厄介なことになる」

言ってすぐ、ルパンは操縦席から出て、クルーザーの尾で後方を見ていた俺に近寄って来る。

腰かけのくぼみにルパンも尻を下ろし、もういいと俺のマグナムを押さえた。

「ここまでくれば安心だ。銃はしまえ」

そう言って俺の銃を取り上げ、安全装置をかけて自分の胸ポケットへしまった。

波の音だけが聞こえ、他には何一つ聞こえない。

うす暗い中にルパンの顔が近づき、もうそんな雰囲気なのかと戸惑う。

「おい……」

「お前も俺もびしょ濡れだ。脱がないと風邪引いちまうぜ」

すぐに乾くと言い返す前に、気に入っていた帽子を取り上げられた。

濡れて重くなったネクタイも解かれて、自分で脱げると胸を押した。

「随分撃ったし、手が疲れてるだろ。遠慮するなよ」

都合のいいことばかりを言いながら、黄色のネクタイも緑のジャケットも船床に音を立てて捨てられる。

靴も靴下も脱がされた。

俺のベルトを外し、シャツのボタンまで外し始める。

目の前で青いジャケットを脱がれた時、鼓動が急に早まった。

「よく、そんな元気があるな」

あれだけ金塊を運んだ後だというのに、その体力には恐れ入った。

「だってお前が言ったんだろ、仕事が終わるまではお預け~~ってさ」

「そういう意味で言ってねえ」

シャツに手を入れられ、俺の身体の形をなぞるように手を這わせる。

前戯の知らせである動作に、息が上がる。

「今夜は海上も熱帯夜らしいぜ」

クサい台詞を言いながら、俺に口づけてくる。

お前はいつも亜熱帯の男だろうが。同じような返答を思いついた自分の頭を、無に戻した。



今までした中で、次元は一番乗り気だった。

触られるたびに反応して、感じ過ぎると少し身じろぐ。

これまで無抵抗な態度か、そっけない態度を見せていたのが嘘のようだった。

仕事の後で、興奮しているとしても、俺にとってはいい傾向だった。

解すのも愛撫もほどほどに、丸裸にした身体を繋げる。

三度目のおかげもあり、難なく次元は俺を受け入れた。

「はぁ、あ、あ……」

多少は労わって揺さぶると、素直に声を出した。

腹のナカの、雄の根本を狙って擦れば、余計に喘ぐ。

「あぁッ、あ、あう……ッ」

「声、出てんな。気持ちよくなってきたか?それとも周りに誰もいないからか?」

海の上には鳥もいなければ、魚も海の底で寝静まっている。

俺たちしか自意識のある生き物はなかった。

「いいから、集中しろよ……ん、う……」

脚を俺の腰に絡ませて、誘うように身を捩る。

三度目で諦めたにしては、あまりにも素直な気がした。

堕としてやろうとしたのは俺だが、突然素直になられると俺としても少し驚いた。

「お前、わかんねえなあ」

言いながら、まだ穿いていた水浸しのスラックスを脱ぐ。

裸になりたいと思うほど興奮したのは、久しぶりだった。

下着も取り払い、次元の脚を抱え直してまた揺さぶった。

「うぁッ、あ、あっ、る、ルパン……ッ」

律動を激しくしても、ギブアップは聞こえてこない。

それどころか、俺を見つめていた。

キスをしてやれば、たまらなさそうに吸いついてきた。

どこで俺に堕ちたのかと聞きたかったが、下半身の快楽に呑まれてそのまま次元の身体を犯した。

「は、次元、出していいか?」

ようやく射精できるほど満たされてきて、息が切れる。

雄を呑み込んだ穴は、ひくひくと痙攣して出して欲しいとねだっていた。

「あ、も……いい、……ッ」

びくびくと身体を跳ねさせてのけ反る次元の痴態に満足感と支配欲を持ち、思い切り腰を上げさせて奥を穿つ。

穴にキツく絞られる感触はかなり気持ちよく、すぐにぶるりと背中が戦慄き、雄が跳ねた。

「んうっ、あ、あぁ……ッ!」

ナカに注がれるのを次元は感じているらしく、快楽を感じるままに声を出していた。

初めてした時もそうだったが、やはりこいつはナカに出されて感じる身体らしい。

俺に似合いの淫乱だと、辱めたくなった。

「はぁー…、奥に出しちまった、ごめんな」

絶頂が収まり、汗だくに濡れた前髪を整えてやる。

放心しかけていた次元は、息を継ぎ、目蓋の周りにまとわりついていた汗を手のひらで拭った。

「う……絶対、思ってねえだろ……」

その目を濡らしたのは汗だけでなく、涙もそうだったのだろう。

睫毛が濡れ、束がところどころくっつき合っていた。

星明かりだけでも顔を紅潮させているのがわかって、また口づけた。

俺が手に入れたものだと、証人を立てたいほど満たされるような気がした。

「次元、これで次はいい部屋に住もうぜ。お前が喘いでも音漏れしない、壁の厚い部屋」

船底を叩き、ぎっちりと敷き詰めた金塊を示す。

これだけあれば立派な家が買えると想像する。

周りに隣家もない、静かで、穏やかで、誰も近場を決して訪れないような場所がよかった。

「は、監獄みたいだな」

諦めるように次元が笑う。

「そうさ、俺様の檻に閉じ込めちまうんだ」

誰にも盗られることがないように。

紡ぎながらもう一度キスをすると、次元は俺ではなく空を見ていた。

「たまには、散歩くらいさせてくれよ」

まるで、これから空も見ることができなくなるように惜しそうに言う。

それを覗き込み、瞳に俺だけが映るように覆い被さった。

「もちろん、俺と一緒ならな」

言葉の後には、二回戦目をするために腿を掴み上げた。



一〇

日が昇ると、海は驚くほど明るさを取り戻した。

その眩しさに目覚めると、毛布一枚で素っ裸の自分に気づく。

何か着るものがないかと探したが、昨日脱ぎ散らかした服はそこら中に散らばり、到底乾いてはいなさそうだった。

隣には、俺と同じく下着も穿かずに寝こけている奴がいた。

「おい、起きろ」

寝転がったまま軽く頭を叩くと、奴は呻いた。

「何だよ……もう夜明けか?」

寝ぼけながら起き上がり、朝日を眩しそうに睨んでいた。

「そろそろ動かねえとやばいんじゃないのか」

「あー…まあ、大丈夫かとは思うけど。念のため近場の港に行くか」

そう言って立ち上がり、かろうじて乾いていたのであろうトランクスを穿く。

俺も生乾きの下着を穿こうと、膝を立てた。だが、なぜかその先に進まなかった。

腰に骨がなくなってしまったかのように、完全に力が入らない。

昨日は確か、二回程度で済んだ気がした。それとも俺に二回目以降の記憶がないのか。

「どうした、立てねえのか?」

呑気に言いながら、奴が俺の下着を拾って放り投げる。

腹の上に落ちたが、それを穿けというのも厳しいほど、腰が抜けていた。

「安心して寝てろよ。港の奴らには日焼けしようとしてぎっくり腰って言ってやるから」

ケラケラと笑いながら、朝日を横切るように船を走らせ始めた。

俺はどうしようもなく、まだ星が残る西の空を見つめ続けるしかなかった。

そしてこれから来る日照りのような太陽の熱さに、このまま焼かれてしまうのだと悟った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

END